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第35回 『美味しんぼ』の挑戦

筆者:
2012年8月30日

第28回以降,おいしいものはおいしいとしか言いようがないはずなのに,味覚の表現が豊かであるのはなぜか,という疑問について考えてきました。これまでの観察をまとめると,次のようになります。

(53) a: 味覚に関する情報は生理的に表現しづらく,現在進行中の味覚体験については,おいしいとしか言いようがない(第29回)
  b: 参与者が同じ食べ物を共有する食卓では,おいしいという評価を確認するだけで効率的な伝達が可能になる(第30回)
  c: 味覚体験から時間的に隔てられることで(つまり,過去の味覚経験を扱うことによって),味覚を豊かに表現できる(第30−31回)
  d: 比喩などの力を借りて味覚体験そのものを表現対象としないことで味覚をさらに豊かに表現できる(第32−34回)

さて,おいしい表現については,ほかにもなぞがあります。そのひとつがグルメ漫画の饒舌な味覚表現です。第2回で漫画『美味しんぼ』から次のような例を引いたのをご記憶でしょうか。

(54) 山岡: 数ある日本酒の中からたった一本を選べと言われたら、迷わず選ぶ、日本酒の最高峰です。
  松原: むうう、すごい酒だ!人間の持つ味覚のつぼ、嗅覚のつぼ、そのすべてに鮮烈な刺激を与えて、快感の交響曲が口腔から鼻腔にかけて鳴りひびく……

(雁屋哲・花咲アキラ『美味しんぼ』57集)

石川県は車多酒造の「天狗舞」を飲んだ感想が饒舌に語られています。この松原のせりふは,複数の意味で「すごい」と思います。

まずは,派手な表現がすごい。現実離れと言ってよいほどです。「むうう」という個性的な間投詞にはじまり,東洋医学の知識(「味覚のつぼ」「嗅覚のつぼ」)を持ち出して味と人体の反応について語り,そして,締めくくりは,からだの反応と味覚が渾然一体となった「快感の交響曲が口腔から鼻腔にかけて鳴りひび」いていくのですから。

少し内輪の話になりますが,この例に見合う挿絵をやはりがんばって探しました。ですが,その内容に見合う画像が見当りません。絵にも描けない派手派手しさなのです。見つけられたのはせいぜいこの程度です。

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まあ「快感」と言えるとは思いますが,「交響曲」には遠いですね。

それはともかく,この大仕掛けの表現は単体で取り出すと,不自然の域を越えて珍妙にさえ聞こえます。味わった酒について即座にあのように評論できそうな人が現実にいるでしょうか。(しかも,当の松原という登場人物は,ブラジルから久しぶりに日本に帰ってきたという,食に関しては素人という設定になっています。)これほどまでに芝居がかったせりふを食卓で聞かされたら,せっかくの純米大吟醸の味わいも消し飛んでしまいそうです。

と同時に,この「快感の交響曲」は,フィクションの表現としてすごい。現実なら珍妙なはずの表現をせりふとしてどうどうと提示し,漫画の表現として機能させているからです。『美味しんぼ』の世界のなかでは,このせりふは適切なのです。素人には思い切れないプロの技といえるでしょう。少し大げさに言えば,作者はフィクション表現の可能性に挑戦しているのです。

では,現実の食卓では不自然なはずのせりふが,なぜ,『美味しんぼ』では許されるのでしょうか。

『美味しんぼ』は1983年以降,休載期間を挟みながらも,現在までほぼ30年間にわたり連載され,単行本の発行は現時点で108巻を数えます。延べ発行部数は軽く1億冊を突破するという,グルメ漫画の大ヒット作です。

作中には随所に,分析的で詳細な味覚表現が現れます。この独特の味覚表現は作品のひとつの「売り」でもあります。そして,『美味しんぼ』の発行部数は,作中の個性的な味覚表現が広く受け入れられていることを意味します。

不自然なはずの表現がフィクションのことばとして成立する。不可能が可能になる。その仕組みについてさらに考えてみましょう。

筆者プロフィール

山口 治彦 ( やまぐち・はるひこ)

神戸市外国語大学英米学科教授。

専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。

著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998),『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。

『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版)

 

『語りのレトリック』(海鳴社)

編集部から

雑誌・新聞・テレビや映画、ゲームにアニメ・小説……等々、身近なメディアのテクストを題材に、そのテクストがなぜそのような特徴を有するか分析かつ考察。
「ファッション誌だからこういう表現をするんだ」「呪文だからこんなことになっているんだ」と漠然と納得する前に、なぜ「ファッション誌だから」「呪文だから」なのかに迫ってみる。
そこにきっと何かが見えてくる。