Windowsが影も形もなかった約15~20年前のパソコンの多くは,ファイルをコピーする際には “copy bunsho.jxw a:\doc” というように,MS-DOSコマンドを手入力する必要がありました。「パソコンを使いたければ,時間をかけて操作を覚えなさい」という考えが当たり前だった時代なら,それでもよかったのかもしれません。しかし,最近では,パソコンはごく一部の専門家のものではなく,鉛筆やノートと同じような文房具として,「誰でも直感的に使える」ということが求められるようになってきました。アイコンをドラッグ&ドロップするだけでコピーできるようになったのも,パソコンがユーザー(利用者)に歩み寄った結果と言えます。
辞書についても同じことが言えます。たとえば,学習者向け英英辞典の中でも最も歴史のあるOALD (Oxford Advanced Learner’s Dictionary)の第3版(1974年)では,目的語に-ing形をとる他動詞は「VP (=Verb Pattern) 6D」と表記されていました(図1)。これだけでは何のことかさっぱり分かりませんが,巻末の動詞形一覧表で6Dのところを見ると,目的語に-ing形をとる形であることが分かります。辞書ユーザーにとっては,いちいち文型一覧表と照合しないといけないというのは非常に不便ですが,大量の情報を圧縮して収録することが辞書編纂で最優先されていた当時は,ユーザー側が努力して辞書の記述になじむしかなかったのです。
しかし,1980年代以降,各社から学習英英辞典が新刊行されるようになり,英語辞書学でも,辞書の「扱いやすさ」(user-friendliness)が盛んに議論されるようになってくると,辞書の記述も大きく変わってきます。たとえば,1989年に改訂されたOALDの第4版では,Tg(他動詞=vt.+-ing)のようになり(図2),さらに,第5版(1995年)は,V.ingと表記され(図3),初めて英英辞典を使う人でも直感的に理解できるようになりました。
日本の英和辞典の文型表記も,以前は5文型をもとにした表記がほとんどでしたが,最近の辞書は,海外の学習英英辞典にならい,英文法の知識がそれほどなくても理解できるような記述をした辞書が増えています。
文型表記に限らず,英和辞典の見やすさ,使いやすさは,ここ数十年で急速に改善されてきています。図4は1983年に刊行された『グローバル英和辞典』,図5は2004年に改訂された『グランドセンチュリー英和辞典』の紙面ですが,『グランドセンチュリー英和辞典』では,重要語,重要語義を色刷りにして大活字にしたり,多義語は冒頭に見取り図(「意味の窓」)を設けることで必要な語義を素早く検索できるようにするなど,使い勝手が大きく向上していることがわかります。
電子辞書は“ユーザーフレンドリー”か?
冊子辞書の操作性が急速に進歩する一方で,最近は電子辞書が中学,高校の教育現場まで浸透してきています。「求める単語を素早く引きたい」という,昔から辞書ユーザーが誰でも抱く根本的なニーズに応えた電子辞書は,辞書の操作性を大幅に向上させたと言えるかもしれません。
しかし,電子辞書は,液晶画面というハードウェアの制約もあり,冊子辞書の見やすさには足元にも及びません。意外に感じるかもしれませんが,数十万色を再現できるカラー液晶を搭載した高級機種でも,カラーで表示されるのは主に図版に限られており,冊子辞書のように重要な見出し語や語義がカラーで表示される機種はまだ出ていません。冊子辞書がこの20年間で格段に見やすくなっているのに,最新の電子辞書でさえ,それにまだ追いつけていないのです。検索時間が速くなっても,辞書の情報を読み取るのに冊子辞書以上に時間がかかっては元も子もありません。
私たち教員は,「辞書をじっくり読みなさい」と授業で口を酸っぱくして言いますが,電子辞書の液晶画面に表示される膨大な情報を持てあまし,結局は受験単語集と同じように訳語だけざっと見て終わりにする生徒が昔以上に増えているように思います。電子辞書の時代だからこそ,冊子辞書ならではの「ユーザーにとっての使いやすさ」を生徒に紹介し,「冊子辞書は,思ったより見やすい,使いやすい」と生徒に感じてもらう辞書指導が望まれているのではないでしょうか。
次回は,日本の英和辞典にも大きな影響を及ぼした,海外各社の学習英英辞典をとりあげながら,高校生でも使える英英辞典の使い方,英和辞典との使い分け方などをとりあげたいと思います。