歴史で謎解き!フランス語文法

第44回 なぜ非人称構文は主語に il を使うの?

2023年10月20日

学生:失礼します。先生、こんにちは、今日も良い天気ですね。

 

先生:こんにちは。きれいな秋空が広がっていて、晴れやかな気分だね。

 

学生:でも、今日は夕方から雨が降るそうですよ。フランス語でいうと、« Il pleut. » ですよ。

 

先生:おぉ、先週の授業で扱ったばかりの非人称構文を、早速使いこなしているね。

 

学生:日々の生活に、フランス語を積極的に取り入れていこうと思いまして(笑)。ただ、非人称構文に関しては、ちょっと疑問に思うことがあるんですよ。フランス語の非人称構文は、どうして主語に il を使うのでしょう?

 

先生:質問の意味が、ちょっとよくわからないな。非人称構文の主語に il を使うことに、何か不思議な点があるの?

 

学生:すみません、もう少し丁寧にお聞きするべきでした。実は、先週のフランス語の授業が終わった後、そのまま何人かの友達と図書館に行って勉強していたのですが、その時に「非人称構文の主語は、なんで il なんだろう? elle じゃダメなのかな?」とか「il ばかり使って elle を使わないなんて、男女差別じゃないの?」という話になったんです。それで、授業中には何とも思わなかった il に対して、なんで elle ではないんだろうと思うようになったんです。あと、英語の場合だと、非人称構文には he でも she でもなく、it という全く別の形の主語が使われますよね。フランス語には、il と elle の他に on がありますが、どうしてこういった別の形の主語を使うことなく、既存の主語である il を使うのでしょうか?

 

先生:なるほど、そういうことか。まぁ、最近では il / elle の他に iel という男性・女性の性別を問わない主語人称代名詞も登場しているしね[注1]。ただ、今回の非人称構文の主語に関して言うなら、話は簡単だ。非人称構文の主語 il は、「中性の il」なんだよ。だから、男性単数の主語 il を使っているわけではないんだ。あと、on は不定人称代名詞として「人」を指すから、非人称構文の主語には適さないね。

 

学生:ちょ、ちょっと待ってください! 情報量が多くて、一度に理解しきれませんでした……。

 

先生:じゃあ、1つずつ順番に説明していこうか。まず、非人称構文の主語 il は「中性の il」という点についてなんだけど、君は以前に説明したフランス語の定冠詞の成り立ちについて覚えているかい?

 

学生:何となく覚えてはいますが…… はっきりとは思い出せません。

 

先生:それなら、軽くおさらいしておこう。前提として、フランス語の元となった古典ラテン語には、冠詞が存在しなかったんだよね。そして、古典ラテン語の指示代名詞「あれ」ille が、指示形容詞「あの」ille として使用されたものが、フランス語の定冠詞になったというわけ[注2]

 

ラテン語の指示形容詞「あれ」/指示形容詞「あの」
  男性 女性 中性
単数主格 ille illa illud
単数対格 illum illam illud
複数主格 illi illae illa
複数対格 illos illas illa

 

学生:あっ、この表には見覚えがあります! それぞれの形から語頭の il が落ちて、現在のような定冠詞の形となったんでしたね。

 

先生:少し思い出してきたかな。では、この表を踏まえつつ、本題に入っていくとしよう。表の単数主格/複数主格の行に注目してほしいんだけど、実は古典ラテン語の指示代名詞 ille は、フランス語の3人称の人称代名詞にもなるんだよ。

 

3人称の人称代名詞の変遷①[注3]
  古典ラテン語   俗ラテン語   古フランス語   現代フランス語
男性単数 ille *elli il il
女性単数 illa *ella ele elle
男性複数 illi *elli il ils
女性複数 illae *ella eles elles

 

学生:確かに、現代フランス語の主語と比べてみると、面影がありますね。

 

先生:古典ラテン語の人称代名詞では、1人称と2人称が存在したけど、3人称は存在しなかった。だから、代わりに ille のような指示代名詞を使っていたんだよ。元々「あれ」という指示代名詞だったこともあって、フランス語における3人称の人称代名詞は、「人」だけでなく「物」も指すことができるんだ。ちなみに、男性単数と男性複数は、古フランス語の段階で両方とも形が全く同じ il なんだけど、複数の方は13世紀中頃に名詞の曲用(語尾変化)のアナロジーで語尾に s をとるようになって、今日の ils の形になったんだ[注4]

 

学生:そういうことなのですね、よくわかりました。それで、この話は非人称構文の主語 il と、どのように繋がってくるのでしょう? 形を見るに、古典ラテン語の ille がフランス語の il になっていると思うのですが……。

 

先生:ここで、最初に見せた古典ラテン語の指示代名詞/指示形容詞の表に戻るとしよう。今度は、中性の単数主格に注目してみてほしい。そこには何て書いてあるかな?

 

学生:illud と書いてあります。

 

先生:そう、illud と書いてあるね。実は、この illud こそが、非人称構文の主語 il の元となった語形なんだよ。現代フランス語では、男性単数の il と非人称の il は形が全く同じで、一見区別がつかないよね。でも、古典ラテン語にまで遡って考えてみると、男性単数の il は男性単数主格の ille に由来しているし、非人称の il は中性単数主格の illud に由来しているから、両者の元となった語形が違うんだ。だから、非人称の il は、かたちこそ男性単数の il と同じだけど、歴史的に見ると男性単数の il ではない「中性の il」なのさ。

 

3人称の人称代名詞の変遷[注5]
  古典ラテン語   俗ラテン語   古フランス語   現代フランス語
非人称 illud *ellu il il

 

先生:あと、on に関しては、以前説明したように「人」を意味する古典ラテン語の普通名詞 homo に由来する語だから[注6]、非人称構文の主語には適さないよ。仮に、*On pleut. などと表現したとしても、「人」が雨を降らせるわけではないからね。

 

学生:そういうことだったのですね! 以前、古典ラテン語の指示代名詞/指示形容詞の表を見せていただいたときは中性に関する説明が全くなかったのに、時を経て非人称構文の主語 il の説明で回収されるなんて、何だか「目からうろこ」です!

 

先生:「目からうろこ」は、『新約聖書』使徒言行録・第9章に登場するサウロのエピソードだね。盲目のサウロの目から、うろこのようなものが落ちるという。

 

学生:そうなんです。少し前にフランス語の祝祭日の語源に関する説明で宗教に関するお話をたくさん聞かせていただいたので、最近はキリスト教にもちょっと興味があるんですよ。

 

先生:よし、そんな君にはキリスト教の話と絡めて、非人称構文に関する追加情報を伝えておくとしようか。非人称構文の主語 il が使われるようになったのは、11世紀だとされているんだ[注7]。ラテン語にも非人称構文はあるんだけど、ラテン語の場合は通常、主語人称代名詞は示されない。だから、非人称構文として il が用いられるようになったのは、古フランス語の段階で生じた新しい現象なんだよ。

 

学生:11世紀というと、中世ですよね。古フランス語で書かれた何らかの作品の中に登場する、ということでしょうか?

 

先生:その通り。ある文学作品の中に、非人称構文の主語 il が使われている箇所があるんだよ。その作品とは、11世紀に書かれた聖人伝『聖アレクシス伝』La Vie de saint Alexis のことだね[注8]

 

Quant li jurz passet ed il fut anuitet,

Ço dist li pedres: « Filz, quar t'en vas colcer

Avoc ta spuse, al cumand Deu del ciel. »(51-53行)

 

日が落ちて、夜になったとき、

父はこう言った。「息子よ、床につくがよい

妻と共に、天に坐します神の御心のままに」

 

先生:« il fut anuitet » というフレーズが、非人称構文になっているね。anuitet というのは、「日が暮れる」faire nuit という意味の古フランス語の非人称動詞 anuitier の過去分詞形だ。これが助動詞 estre (現代フランス語の être にあたる) の単純過去形 fut を伴って「日が暮れた」となっている[注9]。その際に主語として置かれているのが、非人称構文の主語 il というわけ。

 

学生:あっ、『聖アレクシス伝』は聞き覚えがありますよ。不定人称代名詞 on の説明のときに、先生が紹介して下さった作品ですよね。

 

先生:そうそう、よく覚えていたね。『聖アレクシス伝』は、古代ローマの貴族の家に生まれたアレクシスが主人公の物語なんだ。彼は非常に信仰深くて、若いうちから聖職者としての生き方を決意する。その結果、結婚式を挙げたその日のうちに妻を置いて家を飛び出し、ローマから遠く離れた土地へ行って、当地でキリスト者としての敬虔な生活を送るようになる…… という話だよ。

 

学生:あらすじを聞いて思い出したのですが、高校生のときに世界史の授業で習った中世のキリスト教の一宗派「ヴァルド派」の開祖であるピエール・ヴァルド Pierre Valdo も、『聖アレクシス伝』の話を耳にしてから敬虔な生活を送るようになったそうですね。

 

先生:当時『聖アレクシス伝』は学僧や旅芸人によって語られていて有名だったし、清貧に基づく敬虔な生活の実践は「良きキリスト者」の証だからね。僕は初めて読んだ古フランス語の作品がこの『聖アレクシス伝』で、大学院生の時に625行全てを日本語に翻訳したんだ。11世紀の古フランス語は読むのが大変で、辞書や文法書と格闘しながら、通読するのに結局1年もかかってしまったよ。でも、中世当時の人々が読んでいたのと同じテクストを、何百年もの時を超えて自分も読んでいるという実感と興奮は、何物にも代えがたいものだったな。キリスト教に興味があるなら、君も読んでみるかい? 読むなら、手ほどきするからさ。

 

学生:とてもおもしろそうですが、先生ですら通読に1年もかかってしまったなら、僕だとその2~3倍の時間はかかるでしょうね……。 いつか本気で読む決心がついたら、改めてご相談させていただいてもよろしいですか?

 

先生:もちろん、いつでも君の気が向いた時で大丈夫だよ! « N'importe quand. » さ! そうそう、ついでに話しておくと、この « n'importe... » というフレーズも実は非人称構文で、主語の il が省略されている形なんだ[注10]。なので、主語を明示して « il n'importe... » と表現されてもおかしくないんだよ。

 

学生:普段の会話でよく使う « n'importe... » が非人称構文だったとは、全然知りませんでした! でも、どうして主語の il が省略されているのでしょうか?

 

先生:古フランス語では、13世紀ごろまで動詞の活用語尾が発音されていたので、主語人称代名詞を明示する必要はなかったんだ。その名残で、主語の il が明示されていないということだね。あと、古フランス語では明示されなくても、現代フランス語では明示されている例もあるよ。たとえば、« il y a » の構文は、古フランス語だと il が明示されないことがあるけど[注11]、現代フランス語では明示されるしね[注12]。古フランス語の « il y a » の使い方を、11世紀に書かれた叙事詩『ロランの歌』La Chanson de Roland の一場面から紐解いてみることにしよう。

 

Li empereres est en un grant verger,

Ensembl'od lui Rollant e Oliver,

Sansun li dux e Anseis li fiers,

Gefreid d'Anjou, le rei gunfanuner,

E si i furent e Gerin e Gerers.

La u cist furent, des altres i out bien :

De dulce France i ad quinze milliers.(103-109行目)[注13]

 

皇帝は広き御苑のうちにあり、

彼の傍らには、ロランとオリヴィエ、

サンソン公と勇者アンセイス、

王の旗手たるジョフレイ・ダンジュー、

そして、ジェランとジェリエがいた。

彼らがいた場所には、他にも多くの人々がいた

麗しきフランスの軍勢15,000騎があるのだ

 

先生:ここでは、« i out » と « i ad » の2つが確認できるね。それぞれに含まれる i は、現代フランス語の y にあたる中性代名詞だよ。そして、前者には古フランス語の動詞 avoir の単純過去形 out が、後者には現在形 ad があるから、時制は異なるものの、両方同じく「~がある」ということを示す非人称構文なんだ。それぞれ、主語の il が省略されているのがわかるかな? あと、主語の il だけでなく、中性代名詞の i すらも省略されてしまって、文中には avoir しか書かれていないのに「~がある」という意味だったなんてことも珍しくないよ[注14]

 

学生:となると、古フランス語で書かれた作品を読んでいて avoir を見かけたときには、「非人称構文かどうか」を慎重に判断しないといけませんね…… たとえ主語があっても、省略されることが多いなら、ついつい非人称だと勘違いしてしまって、足元をすくわれそうです(汗)。

 

先生:そこが古フランス語の難しいところだね。読解の際は、いろいろ意識を向けるべき点が多いから、かなり集中しないといけないんだ。おっと、あれこれ話しているうちに、もう16時を過ぎてしまっているじゃないか。君の情報だと、確か今日は夕方から雨が降るんだったよね。

 

学生:そうです、今朝の天気予報がそう言ってました。先生は、傘をお持ちですか?

 

先生:いや、今日は傘を持ってきていないから、雨が降る前に帰った方がよさそうだな。

 

学生:それなら、一刻も早く帰りましょう。実は、僕も傘を持ってくるのを忘れたので、すぐに帰らないといけないんです(苦笑)。

 

先生:よし、それならお互い、今から « Il faut rentrer tout de suite. » だ!

[注]

  1. « iel » Le Robert - Dico en ligne, https://dictionnaire.lerobert.com/definition/iel(最終アクセス日:2023年10月20日)
  2. 本コラムの第4回「定冠詞って、どうやってできたの?」(2019年7月19日)を参照のこと。
  3. 島岡茂『フランス語統辞論』大学書林、1999年、pp. 377-378. を参考に、著者が作成。
  4. REY, Alain, Le Dictionnaire historique de la langue française, Paris, Le Robert, 2018, p. 1762. art. « il, ils ». 名詞の曲用や、複数形の語尾に -s がつく理由に関しては、本コラムの第24回「名詞の複数形を示すのに « s » を使うのはなぜ?」(2021年4月16日)を参照のこと。
  5. MARCHELLO-NIZIA, Christiane, COMBETTES, Bernard, PRÉVOST, Sophie & SCHEER, Tobias, Grande grammaire historique du français, Berlin/Boston, De Gruyter Mouton, 2020, pp. 681-682. ; BURIDANT, Claude, Grammaire du français médiéval, Strasbourg, Société de Linguistique Romane, 2019, § 358. ; 島岡(1999), p. 509. ; ZINK, Gaston, Morphologie du français médiéval, PUF, 2000 (5e édition, 1ère édition en 1989), pp. 89-91. を参考に、著者が作成。
  6. 本コラムの第36回「なぜ不定代名詞 on に続く動詞は3人称単数で活用するの?」(2022年6月17日)を参照のこと。
  7. MARCHELLO-NIZIA et al., op. cit., p. 681.
  8. STOREY, Christopher, La Vie de saint Alexis, Genève, Droz, 1968, p. 95.
  9. BURIDANT, op. cit., p. 546. §326. 古フランス語では、動詞の完了形には通常助動詞 avoir を用いるが、anuitier には助動詞 estre を用いる。
  10. RAYNAUD DE LAGE, Guy, Introduction à l'ancien français, Paris, Sedes, 1990, p. 75.
  11. MATSUMURA, Takeshi, Dictionnaire du français médiéval, Paris, Les Belles Lettres, 2018, p. 1885.
  12. ただし、現代フランス語であっても、口語表現では il が明示されないことがある。ex) Y'a pas de problème.
  13. SEGRE, Cesare, La Chanson de Roland, Genève, Droz, 2003, p. 98.
  14. RAYNAUD DE LAGE, op. cit., p. 75.

筆者プロフィール

フランス語教育 歴史文法派

有田豊、ヴェスィエール・ジョルジュ、片山幹生、高名康文(五十音順)の4名。中世関連の研究者である4人が、「歴史を知ればフランス語はもっと面白い」という共通の思いのもとに2017年に結成。語彙習得や文法理解を促すために、フランス語史や語源の知識を語学の授業に取り入れる方法について研究を進めている。

  • 有田豊(ありた・ゆたか)

大阪市立大学文学部、大阪市立大学大学院文学研究科(後期博士課程修了)を経て現在、立命館大学准教授。専門:ヴァルド派についての史的・文献学的研究

  • ヴェスィエール ジョルジュ

パリ第4大学を経て現在、獨協大学講師。NHKラジオ講座『まいにちフランス語』出演(2018年4月~9月)。編著書に『仏検準1級・2級対応 クラウン フランス語単語 上級』『仏検準2級・3級対応 クラウン フランス語単語 中級』『仏検4級・5級対応 クラウン フランス語単語 入門』(三省堂)がある。専門:フランス中世文学(抒情詩)

  • 片山幹生(かたやま・みきお)

早稲田大学第一文学部、早稲田大学大学院文学研究科(博士後期課程修了)、パリ第10大学(DEA取得)を経て現在、早稲田大学非常勤講師。専門:フランス中世文学、演劇研究

  • 高名康文(たかな・やすふみ)

東京大学文学部、東京大学人文社会系大学院(博士課程中退)、ポワチエ大学(DEA取得)を経て現在、成城大学文芸学部教授。著書に、『『狐物語』とその後継模倣作におけるパロディーと風刺』(春風社)がある。専門:『狐物語』を中心としたフランス中世文学、文献学

編集部から

このコラム「歴史で謎解き! フランス語文法」では、はじめて勉強する人たちが感じる「なぜこうなった!?」という疑問に、フランス語がこれまでたどってきた歴史から答えます。「なぜ?」がわかると、フランス語の勉強がもっと楽しくなる!

次回第45回は、12月の第3金曜日に公開予定。どうぞお楽しみに。