前回まで、「まじめ」の表記について取り上げて検討してみた。それと語形が似ていて、語義にも関連性が感じられる語に「まじ」がある。比較的若い年齢層での会話などで、「まじムカつく」、「ウソ、まじで?」など口語として出てくるその語は、文字化される際には、どのような表記がなされるのだろうか。
「まじ」は「まじめ」の短縮形だ、という有力な語源説とは別に、さまざまな語源解釈も一般に行われる。それは、多くの人に馴染み深い語となっていることの表れでもあるようだ。中には「まじめ」という語が、この「まじ」に「め」が付いたものと逆に解する学生もある。さらに、互いに全く別々の語だ、と思っている人も意外に多い。
このことばは、現代の学生たちもよく使う。また、年配の方から耳にすることもなくはない。私は、この語が好きか嫌いかといえば、その響きやニュアンスが好きになれず、使うことはまずないのだが、研究者としてはその存在を認めないわけにはいかない。批難する向きもあるが、その場その場で相手や状況に適した言葉遣いができるのであれば、それは構わない、相互のコミュニケーションにとって摩擦がなく、逆に十分に円滑になるのならば否定するどころか、むしろ良いことなのでは、とも思っている。まして語や表記の現実を研究するうえでは、扱わなくてはならない素材だと考えている。
「まじ」は、「まじめ」を省略することから生じた語であると考えられる。これは実は江戸時代のうちに起きており、230年ほど前の文献(洒落本『にゃんのことだ』 天明元年)以降、しばしば出現する。天明から寛政、享和頃に、江戸の遊里でもっぱら行われた語だという(『江戸時代語辞典』)。これは、江戸時代から本気(で)、という意味で使われ、楽屋言葉として残っていたものだったようだ。
それが、1980年代ころから、テレビ番組で若手の男性タレントたちが連発するようになり、若者ことばとして盛んに使われ始めた。1970年代に水谷豊が歌詞で「マジナハナシ」と歌ったことについて、その作詞家の阿木燿子氏にうかがったところ、斜に構えた若い人が使っていたように思うとのことで、(宇崎竜童が使っていたわけではなく)水谷豊が「傷だらけの天使」で演じた亨(あきら)君が言うイメージをおもちであることを教えて下さった。
表記としては、江戸時代から平仮名が多く、漢字では「不酔(まぢ・まじ)」「真地(まぢ)」と書かれた例があるにはあり、意味のとらえ方が漢字表記に現れているようだ。漢字の字義をどこまで意識したのか、字の発音だけを用いたのかは、こちらが解いていかなくてはならない。ともあれ、戦前まで、通常選ばれる表記は「まじ」であった。
日本語は、漢字だけでなく、ひらがな、カタカナ、ローマ字なども表記に用いられるため、表音文字で書けばそれで済むはずだ。この「まじ」はもちろんのこと、「マジ」とも書かれる。前者は、しぶがき隊の曲名にもあった(1984)。後者は、『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(漢字の位置を確認するために仮名表記、ローマ字表記、記号による表記も収めた)に引いた例のほか、1982年の近藤真彦「ハイティーン・ブギ」(松本隆作詞)でもこの表記であった。今をときめくAKB48は、テレビでドラマ「マジすか学園」(2010)に主演し、その主題歌として「マジスカロックンロール」を歌っている。
同じ仮名でも少し変えて、擬古的にすることで個性を発露させるためか、「まぢ」や「マヂ」とも、女子生徒らの間で、書かれることがある(歴史的仮名遣いには合っていない)。個性とは逆に、これを共有する自己の属するグループに埋没する意図もなくはなさそうだ。また何らかのキャラクターを演じることで、照れ隠しをしようとする意識も感じ取れることがある。
しかし、やはり仮名では、「まじ」のもつ語勢や語義に匹敵しえず、しっかりと位置付けることができない、という不満が残った人もいたのであろう。このタイトルに用いたような漢字による、様々な当て字表記が模索されていくのである。(つづく)