「まじ」という語は、前回記したように、仮名では表しきれないニュアンスをもつことがあるようだ。曲名や歌詞においては、ローマ字表記にした「Maji」まで現れる。1997年当時、溌剌とした女子高校生であった広末涼子の清々しさを竹内まりやが読み取って、「Koi」(恋)などと揃えた表記だったのではなかろうか。これも、個別にはあちこちの手紙などで使われていたのかもしれない。
現在では、ケータイでも、「マジ」や「Maji」が変換候補の中に挙げられる機種が出現している。WEB上では、「MAZI」という、いわゆる訓令式の綴りも多数見られる。これはあまり英語っぽくはないが、「Z」という字の形のかっこよさ、アルファベットの最後を飾る文字という価値が見出されたのではなかろうか。ほかにも、どの字を大文字、小文字にするかということにも、表現上の意味をもたせるケースもあるようだ。
こうした文字体系の多様性は、微妙なニュアンスによって個々を使い分けようとする日本人の繊細ともいえる意識によって支えられていることがある。そこには、世界に類を見ない臨機応変な柔軟性が感じ取れることであろう。しかし、そこに留まらない。さらに漢字が加わってくる。目まぐるしいほどの多彩さは、これからである。
戦後は、当用漢字表内の漢字で、この「まじ」という語を何とか書き表そうとする例が現れてくる。ニュアンスの分かる漢字を選び、それを用いることで仮名表記よりもきっちりと表現し、その語の持つインパクトをしっかりと示して読む者に伝えたい、という意識をもつ向きがあるのであろう。
文字や表記は、概して口頭語よりも保守性が強いといわれる。過去には、さまざまな動きがあったものの、現代では変化が止まっているかに見えることもある。しかし、この「まじ」という語では、むしろこの1世紀のうちの僅か1/3の期間における変化は、目をみはるほど激しいものがある。文字・表記の歴史の大きな方向とは逆の動きを呈している、とも言えそうだ。
平仮名などれっきとした文字による表記がすでにあるのに、しかし実質的な意味を持つ語を、それを強調するにふさわしく漢字で、それもしっかりと意味や音を表したいという要求は、良いか悪いかは別として日本の人々の中に、古くから脈々と受け継がれているかのようである。
きっちりとした漢字で意味を示し、誰でも読める振り仮名を添えることで実際の会話でのいきいきとした発音を示す、という二重の表現が登場する。漢語の「本気(ホンキ)」には、かっちりとしたイメージがあろう。それを2字の、仮名よりも字画が複雑な漢字に凝縮しつつ、別の近い意味を持つ語をもってくることで、気持ちが立体的に伝わるというのであろう。
日本では、漫画が大人にも享受される一つの文化と目されるまで成長した。四半世紀ほど前、その漫画において「まじ」という語に漢字表記が当てられ始める。『当て字・当て読み漢字表現辞典』の帯に、漫画家の高橋留美子氏から許可を頂き、引かせていただいた漫画のコマ(1985)が今のところ古い例である。前のコマには、普通の「本気」が使われている(「めぞん一刻」9巻)。
これは、若い女性の日常生活での勢いある口頭語を示しつつ、きっちりとした意味とニュアンスを伝えるべく漢字で補ったのであろう。それを描いた高橋留美子氏は、オリジナルの表記とは意識されていないということなので、自然に記されたものか、あるいはより古い例があったのであろう。この漫画は、高校時代の友人の蔵書であったもので、遺された品として頂いたものであった。単行本を読み、この実例と出逢うきっかけを与えてくれた彼に心から感謝したい。なお、芸能人の明石家さんまが造ったという話もあるようだが、証拠が見つからない。
次いで、これを主人公の名前に用いた漫画も登場する。(つづく)