漢字の現在

第168回 「笹」より「笠」

筆者:
2012年3月16日

新潟は近くなった。子供のころ、富山の田舎に行くときには、釜飯で有名な横川や、新潟の直江津を経由し、ときには西回りで米原まで経由してなど、ほぼ一日を費やしての移動であった。禁煙車でなくて煙く、夏は蒸し暑い。今は、上越新幹線であっという間にトンネルも抜けて、越後の国に入れるのだ。

ご縁があって、ここのところ毎年、新潟からお呼ばれをいただいている。年にたまたま3回もうかがったこともあった。新潟駅では、日本海側の懐かしく温かい同好の方々の前に、まず「笹だんご」「笹団子」と書かれたのぼりと看板が迎えてくれる。私の名字に含まれる「笹」は、この地では使用頻度が高そうだ。その日に泊まるホテルも、駅から直接行ける中央区「笹口」という地にあった。「笹だんご」という漢字の含まれた表記だと、おいしそうに感じるという方も、地元にはおいでだ。思えば、仙台駅でも同じような光景があった。「笹蒲鉾」、以前のように生産が戻っていることを切に祈っている。

私は、幼稚園の卒業アルバムから、姓を「笠原」と間違われてきた。大学の出席カードも、最後まで「笠原」で通す人がいる。もっとも教員名欄には、前の年に担当された先生の姓で「中村」と書いてきた人もいた。ほかには、「佐々木」と混じて「佐々原」、さらにそれと「笹原」とが混ざり合って「笹々原」まで現れる。これでは「ささささはら」のようだが、「百恵」だって「百々恵」、つまり「々」であたかもルビや送り仮名のように、音が反復していることを示すとしている人がいるのだから、無理もない(「七々」はナナ以外にナナナナも架空の姓名にはある)。「笹」の竹冠を草冠で書いてしまう人も案外多い。「笠」の「立」の部分を消して、「世」を上から書くようなケースもある。

笹・笠

先日は、勤め先の大学の公式書類でも「笠原」とこのように印刷されていて、訂正が入った。言葉が専門のはずの国語研の先輩の方からも間違われていた。一体なぜだろう。

まずは言い間違いは、発話の環境や個々人の滑舌の悪さや耳の聞こえ具合などに左右される。「kasahara」「sasahara」、互いに最初の子音しか違いがなく、しかもそこの「か」「さ」の部分はアクセントが概して低く、はっきりとは聞こえにくい。

書き間違いは、むろんそれに関連していようが、「笠」も「笹」も、常用漢字表には採用されていない漢字だ。一昨年末の改定に際しても、ともに小説などでの頻度数はそこそこあったが、現代の普通名詞としての表記上の需要は、ということから、見送られたものだ。前者は漢字だが音読みは笠(りゅう)智衆(ちしゅう)などあるも比較的稀だ。後者は国字で音読みは極めて稀だ(セと読ませる例はなくはない。第159回「久笹」姓参照)。小学生の時に、兄に「笹」は国字だと聞き、その根拠という『新選漢和辞典』でこの字を見て確かに「国字」と記号が付いていた。しかし、そんなのは関係なく、みな同じ漢字じゃないか、と当時は思えたものだ。

「笠原」と「笹原」は見た目が似ている。ざっと70%以上は共通しているようだ。そしていずれも姓にある。前者は地名では余り聞かないようだ。なのになぜ間違われるのだろう。

笹渕さんという方にお尋ねする機会があった。

 「笠渕」さんと間違われませんか?

「渕」のほうはよく間違われるが、「笠渕」となることはまずないとのこと。「笹」が付く名字には愛着を感じるとのことで、それは同感だ。

また、笹原小学校を卒業した、という学生がいたので、聞いてみた。

 「笠原小」と間違われることはなかった?

ほとんどなかったという。いろいろ聞いていると、「笠」「笹」ランダム交替仮説は成り立たなさそうだ。

「笠井」さんにも以前聞いてみていた。

 「笹井」と間違われることがある。

これも示唆的だ。いずれも学校で習わない表外字であるが、経験によりなんとなく習得されるために、あやふやさが残ってランダムに書かれる、と言うことでもなさそうだ。「笹渕」よりも「笹井」のほうが多そうだからだ。ほかの「笹原」さんも、「笠原」と間違われるそうだが、逆のケースは間違いが少ないのだそうだ。ここで、「笹原」が「笠原」と間違われる要因として、頻度仮説というものを立ててみたい。

「笹原」と「笠原」は、何対何の比率で日本にいるのか。総理になるほどの有名人はどちらもいなさそうだが、人口比ではおおまかに1:3強らしい。つまり、「竹冠の原」で「-asahara」という姓の人の80%近くが「笠原」なのだ。まさに多勢に無勢である。さらに「小笠原」は「笠原」よりもっとたくさんいるが、「小笹原」はまず聞かない。こうしたことは、他の姓でもよく起こっている。私が「笠原」姓に吸収されてしまうのもやむを得ないことと気付いた。それからは名字を「笠原」と間違われても失礼だとカッとせず、気にもしなくなり、むしろ今回はなぜだろうという関心が強くなった。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』 『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。