姓名に関しては、みな関心が高い。それに比して、その客観的にして網羅性の高い調査は乏しい。電話帳を使った集計や、生命保険会社の顧客に基づくランキングが、テレビや書籍、WEBで発表されることがある。労作には違いなく、傾向がうかがえるのだが、いかんせん母集団に何らかの限定が加わっていて、偏りを避けがたいサンプリング調査に過ぎない。しかし、無いよりは絶対によく、大姓の上位の状況を垣間見ることはできる。
かつて都内で歯科医をされていた方が名簿を駆使して家族ぐるみで算出したいわゆる佐久間ランキングでは、埼玉県内での人口が第1位として輝いていたのが「新井」姓だった。かねてより埼玉北部から群馬にかけて、その地で歴史に残る新井氏の集中して居住する地であった。それが、近年の各種の集計ではベスト5から消えてしまっている。埼玉県の新井一族に、何が起こったのだろうか。
それは、ベッドタウン化が進んだことと関連するのだろう。職場がある東京から溢れ出た人々、家賃や地価など物価の高さに辟易した人々が、都の外の通勤圏にマイホームを求める。近郊の自然も魅力であろう。都内や近県の鈴木、佐藤、高橋、田中、石井などの姓を持った人々が埼玉県にたくさん入ってくる。その結果、土着の姓が薄まった。今でも、秩父など北部ではこの生粋の「新井」姓が高い割合で残っている。
こういう文字列や熟語単位の地域の特性も面白いが、個々の文字にもまた見どころがある。関東にも、そうした地域文字が各種見受けられるのである。
武蔵野台地の北部にある所沢に行くのは、3回目だ。西武球場にはもっと前に行ったことがある。夜風の中、23-4という当時のパ・リーグらしいスコアを目の当たりにできた。
暫くは行けなくなるだろうし、職員の方々からいくつもの地名などに関する資料を頂いたので、これを期にフィールドにも出なくてはと願う。出不精だが欲張りなようだ。ただ、だんだんと同じ日に予定が重なり始めて、不義理もせざるをえなくなっている。せめて、お断りせざるをえなかった仕事に、別の形であっても報いなければと、雑事でくたびれた体を鼓舞してみた。
お待ちいただいている方々の前に出るよりも前の時間に、現地調査をするのは危ない。電車やバス、タクシーなど足や体力の問題もあるが、何よりももっと調べたいという心境に陥る危うさがあるためだ。講義の合間に図書館に寄ることがあった。もっと知りたいという衝動に駆られる。いけない、本業ということでなんとか自制するが、危険だ。しかし、今回は、もう冬なので明るい内に行かないと、使用の実例を見つけられず、写真も撮れなくなりかねない。夕闇迫る道中では、看板の文字や石碑の文字などは、まさに黄昏の中となる。複数の仕事をそれぞれ進めるためには、うまく気持ちを切り替えることが肝要だ。
駅に着く。時刻表なしで来たためいろいろあったが、予定よりも順調か。近くで昼を済ませないと道中フラフラになってしまうので、腹ごしらえのために豚カツ屋に。これは選択がまずかった。揚がるまでに時間がかかり、出てきた後も猫舌にはややつらい。でも貧乏性で、残すのももったいない。ラーメンを注文した時にもある開始時刻に遅刻しそうになったことがあった。調査などで約束のある時には、そろそろ懲りないといけない。思わぬ痛いロスタイムができてしまい、タクシーもこういう時に限って、例によってつかまらない。
「大岾」に行きたかった。「おおはけ」と読む。八潮市の「垳」(がけ)と同様の意味をもつ方言が、埼玉にては地域文字で表記されているのだ。タクシー乗り場まで戻り、もたついていたら先を越された。やっと来た1台目の運転手さんはそういうところは知らないそうだ。幸い、2台目が着いて、「後ろの人が詳しいから」と勧めてくれる。ありがたい、1時間のうちに、「大岾」をいくつか回って写真を撮らせてもらい、会場まで着けるか? 大丈夫とのこと。不思議に思えるであろう乗客の目的など、余計なことを聞かないでくれて、忠実に急いでくれる。プロがプロの仕事をする、さすがはプロだ。循環バスの中の案内板も見たかったが、3時間に1本のバスに首尾良く乗れたとしても、そんなことをしている猶予などなかった。