銭湯のご主人たちから、周りの商店が減ったために広告も減ったと、先の酒屋で耳にした話と同様の話を聞いた。残っている広告看板2枚も、(契約の)期限は過ぎているから捨てて良いはず、もう貼る必要もなく外してもいいが、捨てるに捨てられない、とのことだ。お風呂屋さんらしさは、ケロリンと書かれた風呂桶だけではなく、そういう物にも感じられる。
昔は、壁一面に広告が並べて貼ってあり、側面にまで続いていたとのことだ。4枚分くらいが入る上下の枠をせっかく作ったから、今、2枚を残してあるそうだ。30年くらい前のものだろうという。
毛筆か刷毛のような筆記具で器用にレタリングされた電話番号の頭に、3が付いて4桁になっていることから、1991年以降、昭和が終わって間もない時代の作なのだろうということがわかる。
女湯に貼られた物も同じ2枚だったが、手書きなので、改行位置、字形、さらに字体までが微妙に違う。入浴中は、ファニーと呼ばれた書体に近く見えた(前回)。
中高生の頃、漫画などでその手書きの味を加えた印刷書体を見つけては、青春を感じてワクワクした写研の書体であり、大好きだった。通信講座でペン習字を習う前には、お手本としてそれを真似して書いていたことさえもあった。近くは、少女向けのアニメのエンディングで歌詞の字幕に使われて流れていたが、パソコン用のものは開発されていないと聞く。
その2枚は、今でもある店の広告だそうで、これは1軒先の店の、これはそこを曲がって行ったところにある薬局とのことで、改めて見たら1枚は、さっきお礼用の酒を買った店のものだった。だが、先ほど書いたとおり、もう期限はとうに切れているのだ。
壁に人知れずある扉を押すと入れる、男湯と女湯を跨ぐ奥のほの暗い部屋から、しまってあった古い看板も持ってきてくださった。やはり水に強いプラスチック製のようで、カタカナの点画を切って立体的に貼ったものもあった。書かれているそこに電話をかけても、もう通じなくなっているそうだ。まだ店舗がある質屋の広告は、サイズが大きいため貼れなくなったのだろう。奥から出して下さった耐水性の看板は、裏返してみると何も書かれていなかった。半透明なので、何か書けば裏写りしてしまう。
その看板広告を商店に募って、作っては風呂屋に持ってくる背景広告社という業者(銭湯専門の広告代理店)が出入りしていたのだが、その会社もまた電話をしても通じなくなったそうだ。どうりで、複数の看板屋がまちまちに手掛けたとは思えぬ一貫性をもった雰囲気を感じさせていたものだった。
これは、東京近郊の習俗のようだが、他の地ではどうだったのだろう。その業者のプレートも男湯と女湯のぶんがそれぞれ1枚ずつ、裏(つまり富士山の絵の奥の間)の設備と器材の置かれた部屋に、処分せずにきちんと立てかけて残されていた。
その電話番号は、少なくとも東京都の区部ではない4桁の市外局番から始まっていた。そこが看板を持ってきて、それらを富士山などの絵の下に貼る代わりに、大きな富士山などの風景画を無料で描き直してくれるという、なかなかうまいシステムだったそうだ。富士山の絵に関しては、銭湯の話題としてマスメディアでもよく上る。今は、仕方ないので別の業者に絵を頼んでいるが、なんと8万円もかかってしまったそうだ。