どういう意味?
『大辞林 第三版』を見てみると、「①春分の日・秋分の日を中日(ちゅうにち)とする各七日間。また、この時期に営む仏事。俳句では、彼岸といえば春彼岸のこと。[季語]春。」とあります。
もう少し詳しく…
『大辞林』には②として、「〔梵 pāramitā(波羅蜜多)の訳語「到彼岸」から出た語〕迷いを脱し、生死を超越した理想の境地。悟りの境地。涅槃(ねはん)。⇔此岸(しがん)」とも書かれています。つまり、仏教用語で「あの世」のことを言います(此岸は「現実のこの世」)。①との関係は「春分と秋分には太陽が真西に沈むので、浄土思想と結びついた」という説もありますが、はっきりとはしていません。
※『大辞林』は「現代語優先方式」であるため、より現在の世の中で使われている意味が先にあります。詳しくはこちら→//daijirin.dual-d.net/djr_point1.html
いつごろのことを言うの?
秋分の日を中日として、前後3日間のことを言います。26日までです。また、ただ「彼岸」と言うと、春の彼岸をあらわすことが多く、秋の彼岸は「秋彼岸」「後の彼岸」などと言います。
時候のあいさつに使うなら…
「秋彼岸を過ぎてめっきり涼しくなりました…」などと使われることがあります。
ちなみに…
「オハギ」と「ボタモチ」
秋のお彼岸には「オハギ」を食べます。いやいや「ボタモチ」だ、と言う方もいらっしゃるかもしれません。これは「萩」と「牡丹」の季節に由来するという説があります。語源というのはどれが正しいということは難しいため、それが本当かどうかはわかりません。
古典の世界では「かいもちひ〔掻い餅〕」が似たものにあたりますが、これも何であるかははっきりわかりません。『全訳読解古語辞典 第三版』を見ると以下のような記述になっています。
《「かい」は接頭語》おはぎ、ぼたもちの類。また、一説に、そばがきとも。[例]「僧たち、宵(よひ)のつれづれに、『いざかいもちひせむ』といひけるをこの児(ちご)心寄せに聞きけり」〈宇治拾遺・一・一二〉[訳]僧たちが夜の所在なさに、「さあ、ぼたもちを作ろう」と言ったのをこの稚児(ちご)が期待して聞いた。
[読解のために]『徒然草』二一六・二三六段や、『古今著聞集』などにもこの名が出ているが、実体は未詳。ぼたもち説にしても、もち米・あわ・小麦などの粉を水でこね、もちのようになるまで煮たもの、また、もち米を煮たものを握り、あんや黄な粉をつけたものともされている。用例の場合は、僧たちが簡単に作っているので「そばがき」であろうとする説もあるが、何人もの僧で作っているので「ぼたもち」でいいともされている。