モノが語る明治教育維新

第14回―文部省発行の家庭教育錦絵 (4)

2017年7月25日

前回、前々回(⇒第11回第12回第13回)に続いて、文部省が発行した教育錦絵を見ていきます。

5の数理図の中には、旧来の度量衡〔尺、枡(ます)、秤(はかり)〕について描かれたものの他に、明治になり制度が大きく変わった貨幣をテーマとした1枚があります。政府は新貨条例を明治4年に制定し、貨幣単位を圓(円)・銭・厘とし、新たな金貨・銀貨・銅貨を造幣しましたが、この新貨幣を絵解きで紹介しているのです。

錦絵の上段には、20圓、10圓、5圓、2圓、1圓の5種類の金貨、1圓、50銭、20銭、10銭、5銭の5種類の銀貨、1銭、半銭、1厘の3種類の銅貨が表裏一対として描かれています。よく見ると明治3年と刻印された銀貨や銅貨が描かれており、「当時一般通用の品なり」と説明にもあることから、条例制定前にすでにこれら硬貨が流通していたことも分かり、興味深いですね。

半銭銅貨には「二百枚換一圓」、1厘銅貨には「十枚換一銭」とわざわざ交換比率が記されており、その比率は1圓=100銭=1000厘となります。現代から見れば、銭や厘と単位が複数あり複雑に感じられますが、江戸期の貨幣制度に比べればとても簡略化されているのです。例えば、江戸期の金貨は金何両何分何朱というように数え、1両=4分=16朱と四進法だったのです(つまり1分は0.25両、2分は0.5両、3分は0.75両となります)。換算する際、見るからに計算が面倒そうですね。これは開国で貿易を始めた相手国からも不評で、政府としては西洋式に十進法に統一すべき、となったのでしょう。

江戸期の貨幣制度が複雑だったことは、和算書『塵劫記(じんこうき)』からもうかがわれます。3種類の通貨(金、銀、銭)が流通し、しかも実態が変動相場制だったこともあり、金と銀の両替計算や、銭と銀の両替計算など、かなりのページを割いて出題しています。庶民にとっては計算でだまされないための大切な学びでしたが、一方で、複雑な換金には画中にあるような両替屋が大きな役割を担っていました。しかし、錦絵が出版された明治のはじめには、通貨制度が円に統一されて複雑な計算の必要もなくなり、金融は銀行へ移行する時期でもありました。算盤(そろばん)を手にする散切り頭の商人が、何となく浮かない表情なのは、そんな時代の趨勢(すうせい)を感じているからでしょうか。

子ども向けに数理の教材として作られたものですが、世間一般に新しい制度を浸透させるための新聞的役割を持った1枚といえます。

筆者プロフィール

唐澤 るり子 ( からさわ・るりこ)

唐澤富太郎三女
昭和30年生まれ 日本女子大学卒業後、出版社勤務。
平成5年唐澤博物館設立に携わり、現在館長
唐澤博物館ホームページ:http://karasawamuseum.com/
唐澤富太郎については第1回記事へ。

※右の書影は唐澤富太郎著書の一つ『図説 近代百年の教育』(日本図書センター 2001(復刊))

『図説 近代百年の教育』

編集部から

東京・練馬区の住宅街にたたずむ、唐澤博物館。教育学・教育史研究家の唐澤富太郎が集めた実物資料を展示する私設博物館です。本連載では、富太郎先生の娘であり館長でもある唐澤るり子さんに、膨大なコレクションの中から毎回数点をピックアップしてご紹介いただきます。「モノ」を通じて見えてくる、草創期の日本の教育、学校、そして子どもたちの姿とは。
更新は毎月第二火曜日の予定です。