『三省堂国語辞典 第六版』は、今の日本語を映し出す辞書です。新たにことばを追加するだけでなく、これまで載っていたことばの意味の変化もしっかりと捉えています。
『三国』が捉えたたくさんの意味変化のうち、有名なのは「世間ずれ」です。第二版(1974年)までは〈実社会で苦労をして わるがしこくなること。〉でしたが、第三版(1982年)から〈〔あやまって〕世間の動きとずれていること。〉という意味が入りました。
「世間ずれ」の意味が変わっていることは、それ以前にも指摘はあったものの、確証がありませんでした。『三国』の編集主幹だった見坊豪紀(けんぼう・ひでとし)は、数万ページの文章を読みあさった末、1974年、週刊誌で〈世間ずれした〔=今では古い〕テクニック〉という確実な例を発見しました。その時のうれしさを、見坊は「証拠おさえたァ、という感じ」と表現しています(『ことばのくずかご』)。今や、若い世代の圧倒的多数が「世間ずれ」を新しい意味で使っています。
今回の『三国』でも、このような意味の変化を多く指摘しています。たとえば、「号泣」は、これまで〈大声で泣くこと。〉と記していましたが、第六版では新しい意味として〈〔あやまって〕大いに なみだを流すこと。〉というブランチ(意味区分)を立てました。
「号泣」の「号」は、「号令」「怒号」などの熟語で分かるとおり、「さけぶ」という意味です。ところが、しばらく前から、大声で泣いているとは思えないのに「号泣」と表現する例が出てきました。「ごうごうと涙を流して泣く」とう気持ちでしょう。とりわけ、以下の例は、見坊が見たならば「証拠おさえたァ」と言うのではないでしょうか。
〈30分後に声を止めて号泣してる娘を発見〉(『毎日新聞』2007.9.16 p.21 西原理恵子「毎日かあさん」227)
「声を止めて」いる以上、これは〈大いに なみだを流すこと。〉の例と考えられます。「号泣」のこれ以外の用例とあわせて証拠十分となり、語釈を追加することになりました。
『三国』では、ある言い方を「誤り」と決めつけることはできるだけしないようにしています。このように〔あやまって〕と明示するのは比較的少数で、多くは、〔俗〕などの表示をつけて新しい意味を加えています。ほかにも、いろいろな意味変化を捉えて記述することができました。語釈の新しさを味わってください。