三省堂国語辞典のすすめ

その39 足も、足下も、すくわれないでね。

筆者:
2008年10月29日

言い方がゆれていることばを辞書に載せる場合、どちらを採用すべきかが問題になります。『三省堂国語辞典 第六版』の編集段階で、「足をすくわれる」と「足下(あしもと)をすくわれる」とのどちらの言い方が適当か、議論になりました。

一般には、「足をすくわれる」が正しいという主張が目につきます。たとえば、日本語の誤用を批判するある本では、「足下」というのは立っている足のあたりのことだと言い、すくうのは足そのものであって、足下ではないと説明しています。

なるほど、理屈が通っているようです。でも、「足下」には足先の意味もあります。「足下が冷える」とか、〈部屋に入ろうとすると、足もとに何か触れた。〉(河野多恵子「幼児狩り」1962年)とか言うのはその例です。『三国 第六版』の「足下」にも、〈足の、先の ほう〉という意味が加えられました。したがって、「足下」はすくうこができます。

【足(下)をすくうの図】
【足(下)をすくうの図】

また、「足をすくわれる」のほうが本来の言い方だとの意見もあります。でも、「足を~」も「足下を~」も、それほど古い例が確認されていない点では同じです。ウェブサイト「日国 .NET」(小学館)の資料によれば、「足をすくわれる」の古い例は、目下のところ昭和初期のものです。一方、「足下をすくわれる」は、手元の一番古い例は1950年代のもので、資料の上では20年ほどの差しかありません。「足下を~」の一例を以下に示します。

〈この人には、夢はない。冷静に現実を見ている。建一郎は足もとをすくわれる気がした。〉(石川達三『人間の壁(上)』〔1958年〕新潮文庫1981年37刷 p.233)

【文化庁調査でも言及】
文化庁調査でも言及】

このように、理屈の点からも、言い回しの新古の点からも、「足下を~」を不採用にする理由はないと考えられます。しかも、この考えをさらに強固にする用例があります。それは、『三国』の初代主幹で、日本語の用例収集に一身を捧げた見坊豪紀(けんぼう・ひでとし)自身が、著書の中で「足下を~」を使った例です。

〈石黒氏の指摘は、ほんとうに足もとをすくわれたような驚きを私に与えた。〉(見坊豪紀『辞書と日本語』玉川大学出版部 1977年 p.40)

いわば、辞書の神様のお墨付きを得たようなわけで、「足下をすくわれる」も、「足をすくわれる」も、仲良く『三国』に載りました。ただし、語釈は「足をすくわれる」のほうに記し、「足下をすくわれる」は空見出しとしてあります。

【『辞書と日本語』】
【『辞書と日本語』】

筆者プロフィール

飯間 浩明 ( いいま・ひろあき)

早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。

URL:ことばをめぐるひとりごと(//www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

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編集部から

生活にぴったり寄りそう現代語辞典として定評のある『三省堂国語辞典 第六版』が発売され(※現在は第七版が発売中)、各方面のメディアで取り上げていただいております。その魅力をもっとお伝えしたい、そういう思いから、編集委員の飯間先生に「『三省堂国語辞典』のすすめ」というテーマで書いていただいております。