タイプライターに魅せられた男たち・第144回

フランツ・クサファー・ワーグナー(11)

筆者:
2014年8月21日

ベネディクトは証言を拒否しました。イエスともノーとも答えず、証言そのものを拒否したのです。判事のラコンブ(Emile Henry Lacombe)は、ベネディクトの証言拒否を容認しましたが、それは同時に、ウィックオフ・シーマンズ&ベネディクト社が、裁判上かなり不利になってしまうことを意味していました。

「Underwood Standard Typewriter No.5」

「Underwood Standard Typewriter No.5」

裁判が続く間にも、ワーグナーとハーマンはビジブル・タイプライターの改良を進め、1900年6月8日、「Underwood Standard Typewriter No.5」を発売しました。「Underwood Standard Typewriter No.5」は、45キー(うち3つがシフト、シフトロック、およびタブ)のフロントストライク式タイプライターで、「Underwood Typewriter No.2」を徹底的に改良したものでした。半円状に並べたアームがプラテンの前面を打つ、という基本デザインは踏襲しつつも、内部の部品数を減らすことで、故障を少なくし耐久性を高めると同時に、価格を下げることにも成功したモデルだったのです。「Underwood Standard Typewriter No.5」は、発売と同時に注文が殺到しました。ワーグナー・タイプライター社は、傘下のアンダーウッド・タイプライター・マニュファクチャリング社の工場を、ハドソン川対岸のニュージャージー州ベイヨンに開設していましたが、ベイヨンの工場では生産が間に合わないほどの注文が殺到したのです。

これに対し、アンダーウッドが取った策は、ワーグナーにとって、かなり強烈なものでした。アンダーウッド・タイプライター・マニュファクチャリング社の工場を、コネティカット州ハートフォードに移転したのです。それも、アメリカン・ライティング・マシン社の目と鼻の先、同じキャピトル通りの300ヤード西に立つ商業会議所ビル(Board of Trade Building)に、アンダーウッド・タイプライター・マニュファクチャリング社のオフィスを構えたのです。アンダーウッドは、ベイヨンやマンハッタンの技術者をハートフォードの工場に送り込むと同時に、アメリカン・ライティング・マシン社の技術者をも引き抜こうとしていました。アンダーウッドは、さらに、商業会議所ビルの回りの土地も買いあさり始めました。アンダーウッド・タイプライター・マニュファクチャリング社の工場を、キャピトル通り沿いに建設するためでした。アンダーウッドは、ハートフォードのタイプライター産業を、根こそぎ、アンダーウッド・タイプライター・マニュファクチャリング社の配下に、取り込んでしまおうとしていたのです。

フランツ・クサファー・ワーグナー(12)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。