奥山にもみぢ踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋はかなしき
出典
古今・秋上・二一五・猿丸大夫 / 百人一首
訳
奥山でもみじを踏み分けながら鳴く鹿の声を聞くときこそ、秋は身にしみて悲しく感じられる。
注
『古今和歌集』では「よみ人しらず」となっている。
参考
「奥山にもみぢ踏み分け」については、「鳴く」にかかり、動作主は「鹿」と考える説と、「聞く」にかかり、動作主は作者と考える説がある。ここでは、前者にしたがって解釈した。鹿の声を聞きながら、奥山でもみじを踏み分けながら鳴いている鹿の姿を想像して詠んだのであろう。頭の中で美しい情景を想像して詠むというのは『古今和歌集』の歌の特色である。なお、『古今和歌集』では、この歌のあとに萩 (はぎ)を詠んだ歌が並んでいるので、この歌の「もみぢ」は、萩の黄葉といわれている。
(『三省堂 全訳読解古語辞典』「おくやまに…」)
◆参考情報
三省堂では、現在「三省堂 高校生創作和歌コンテスト」の応募作品を募集しており、今回は募集している歌題「題詠:もみぢ」にちなんだ歌を取り上げました。
和歌では、必ずしも自分の実体験に基づいて詠む必要はありません。この歌の解説にあるように、絵を見たり、風景を想像したりして詠むことが多くありました。
なお、今回の歌は萩の黄葉を詠んだものといわれていますが、『三省堂 全訳読解古語辞典』で「もみぢ」を引くと、以下のようなコラムがあります。
[読解のために]「もみぢ」の色は何色?
『万葉集』の時代、「黄葉」の字が多く当てられた理由には、大和地方の人々が紅葉よりも黄色い葉を好んで観賞したためと見る説もあるが、六朝(りくちよう)から盛唐に至るまでの中国の漢詩文が大部分「黄葉」の文字を用いているので、その影響が大きいと思われる。「黄葉」と書いても、紅葉の意で使用された可能性がある。なお、『白氏文集(はくしもんじゆう)』などでは逆に「紅葉」の例が多く、わが国の漢詩文でも次第に「紅葉」の用字が定着した。