八重葎茂れる宿のさびしきに人こそ見えね秋は来(き)にけり
出典
拾遺・秋・一四〇・恵慶法師(ゑぎやうほふし) / 百人一首
訳
重にも葎が生い茂った寒々しい宿に、訪れる人の姿は見えないが、秋は訪れて来たことだ。
注
「こそ」は係助詞。「ね」は打消の助動詞「ず」の已然形。「こそ…ね」で係り結びになっているが、文脈上逆接の意で下につながっている。
今月は、係り結びを含む和歌の例をご紹介いたします。
【ぞ】
この世をばわが世とぞ思ふ望月(もちづき)のかけたることもなしと思へば
〈小右記(せういうき)・藤原道長(ふぢはらの/みちなが)〉
[訳]この世を自分の世と思い、この夜も私のための夜と思う。今宵(こよい)の満月が欠けたところがないように、私にも何一つ満ちたらぬことがないと思うので。
[技法]「このよをば」の「よ」は、「世」と「夜」をかける。二句切れ。
[参考]『小右記』は、藤原実資(ふじわらの/さねすけ)の日記。それによれば、藤原道長が、三女威子(いし)が後一条天皇の中宮になった日、寛仁二(一〇一八)年十月十六日に、宴席で詠んだ歌。娘の彰子(しようし)・妍子(けんし)・威子が后となり、自らも太政大臣(だいじようだいじん)として位をきわめたという満ち足りた思いを詠む。(〔和歌〕この世をば・・・)
竜田河(たつたがは)色紅(くれなゐ)になりにけり山の紅葉(もみぢ)ぞ今は散るらし
〈後撰・秋下・四一三〉
[訳]竜田川は色が紅になったことだよ。山の紅葉は、今は散っているらしい。
〔注〕「らし」は「ぞ」の係り結び。(「らし」(推量の助動詞「らし」の連体形))
【こそ】
春の夜の闇(やみ)はあやなし梅の花色こそ見えね香(か)やはかくるる
〈古今・春上・四一・凡河内躬恒(おほしかふちのみつね)〉
[訳](闇とはあらゆるものをすっぽりと隠すものだが)春の夜の闇はどうも筋の通らないことをしている。梅の花の、色こそ見えはしないが、その香は隠れているか、いや隠れていないではないか。
[技法]二句切れ。
〔注〕「色こそ見えね」の「こそ」は強調の係助詞。「ね」は打消の助動詞「ず」の已然形。係り結びの形で逆接的に下へ続く。「香やはかくるる」の「やは」は、反語の係助詞。「かくるる」は結びで、動ラ下二「かくる」の連体形。(〔和歌〕はるのよのやみはあやなし…)
【や】
住江の岸に寄る波よるさへや夢の通(かよ)ひ路(ぢ)人目(ひとめ)よくらむ
〈古今・恋二・五五九・藤原敏行(ふぢはらのとしゆき) / 百人一首
[訳]住江の岸に寄る波、その「よる」ではないが、夜までも夢の中の通い路で、あの人は人目を避けているのだろうか。
[技法]上二句は「よる」の同音反復で「夜」を導く序詞。
〔注〕「さへ」は、添加を表す副助詞。「や」は、疑問の係助詞。「らむ」は、現在推量の助動詞「らむ」の連体形(係り結び)。(〔和歌〕すみのえの…)
【か】
妹(いも)が家(へ)に雪かも降ると見るまでにここだも紛ふ梅の花かも
〈万葉・五・八四四〉
[訳]恋人の家に雪が降るのかと見まごう程に、こんなにも紛らわしく散る梅の花であることよ。
〔注〕「か」が疑問を表し、係り結びが成立して連体形「降る」で結ばれる。文末の「かも」は詠嘆の終助詞の用法。(「か」[係助]一)
なお、係助詞の「なむ」は、和歌ではほとんど例が見られません。従って、和歌で「なむ」が出てきた場合は、終助詞の「なむ」、あるいは「完了+推量のなむ」とまずは考えて良いでしょう。以下に①願望の終助詞の「なむ」、②「完了+推量のなむ」の和歌の例を挙げます。「なむ」の見分け方は、『三省堂 全訳読解古語辞典』888pに載っていますので、ご活用下さい。
①願望の終助詞「なむ」の例
あかなくにまだきも月の隠るるか山の端(は)逃げて入れずもあらなむ
〈古今・雑上・八八四・在原業平(ありはらのなりひら)、伊勢・八二〉
[訳]まだ満足しておらず、もっともっと眺めていたいのに、こんなにも早く月が隠れてしまうのでしょうか。山の端よ、逃げて月を入れないでおくれ。
[技法]三句切れ。
〔注〕「隠るるか」の「か」は詠嘆を表す終助詞で、「まだきも」の「も」と呼応している。「入れずもあらなむ」の「なむ」は他に対する願望を表す終助詞。
[参考]業平が惟喬(これたか)親王の供をして狩りに出かけ、宿所に帰って一晩中酒宴を開いたとき、親王が寝所へ入ろうとするのを見て、親王を月になぞらえて、おやすみになるのはまだ早すぎます、と引きとめた歌。(〔和歌〕あかなくに…)
高砂の尾の上(へ)の桜咲きにけり外山(とやま)の霞(かすみ)立たずもあらなむ
〈後拾遺・春上・一二〇・大江匡房(おほえのまさふさ) / 百人一首〉
[訳](高砂の)高い峰の桜がようやく咲いたことだなあ。人里近い山々の霞よ、どうか立たないでほしい。
[技法]三句切れ。
〔注〕「にけり」は完了の助動詞「ぬ」の連用形「に」+過去(気づき)の助動詞「けり」の終止形で、心待ちにしていた桜がようやく咲いたことだなあ、と気づいて詠嘆している。「なむ」は、願望を表す終助詞。
[参考]「尾の上」は、山の頂(いただき)のこと。「外山」は、人里に近い、手前にある低い山。「尾の上」と「外山」を対照させ、遠近感のある広大な景を詠んでいる。(〔和歌〕たかさごの…)
人知れぬ我が通ひ路(ぢ)の関守(せきもり)は宵宵(よひよひ)ごとにうちも寝(ね)ななむ
〈伊勢・五、古今・恋三・六三二・在原業平(ありはらのなりひら)〉
[訳]人には秘密の、私の恋の通い路を守る番人は、夜ごと夜ごと、ほんの少しの間でもよいから、眠ってほしい。
〔注〕「うちも寝ななむ」の「うち」は接頭語、ほんの少しの間でもよい、という意を添える。「な」は完了の助動詞「ぬ」の未然形。「なむ」は他に対する願望を表す終助詞。(〔和歌〕ひとしれぬ…)
小倉山峰のもみぢ葉心あらば今ひとたびのみゆき待たなむ
〈拾遺・雑秋・一一二八・藤原忠平(ふぢはらのただひら)/ 百人一首〉
[訳]小倉山の峰のもみじの葉よ。もしおまえに心があるなら、今一度のお出ましがあるときまで、(散らずにその美しさのまま)待っていてほしい。
〔注〕「なむ」は、他に対する願望を表す終助詞。
[参考]詞書(ことばがき)によれば、宇多上皇が都の西にある大堰(おおい)川(=上流は保津川、下流は桂川)にお出ましになったとき、紅葉の美しさに感嘆され、わが子醍醐(だいご)天皇にも見せたいとおっしゃったので、お供をしていた作者が、天皇に申し上げましょうと言って詠んだ歌。(〔和歌〕をぐらやま…)
②「完了」+「推量」のなむの例
君をおきてあだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ
〈古今・東歌・一〇九三・よみ人しらず〉
[訳]あなたをさしおいて、ほかの人を思う浮気心を私がもちましたなら、あの末の松山を波も越えてしまうことでしょう。
〔注〕「わが持たば」の「ば」は、未然形に接続して順接の仮定条件を表す。「波も越えなむ」の「なむ」は、完了(確述)の助動詞「ぬ」の未然形+推量の助動詞「む」の終止形。
[参考]「末の松山」は、陸奥(みちのく)の歌枕。絶対に波が越えることのない山と考えられていた。(〔和歌〕きみをおきて…)
この世にし楽しくあらば来(こ)む世には虫に鳥にも我はなりなむ
〈万葉・三・三四八・大伴旅人(おほとものたびと)〉
[訳]この世で楽しく過ごせるならば、あの世では虫にでも鳥にでも私はきっとなりましょう。
〔注〕「虫に鳥にも」は「虫にも鳥にも」であり、音数の関係で、上の係助詞「も」が略されている。「なむ」は、完了(確述)の助動詞「ぬ」の未然形+推量の助動詞「む」。ここでは強い意志を表す。
[参考]蝶(ちよう)になることは『荘子』に故事がある。仏教の輪廻転生(りんねてんしよう)思想を逆手にとって、現世享楽をうたう。(〔和歌〕このよにし…)