旧字の「吉」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。新字の「𠮷」(土のしたに口)は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。「吉」と「𠮷」は、実は単なる字体の差に過ぎないのですが、ここではあえて、「吉」を旧字、「𠮷」を新字と呼ぶことにしましょう。
昭和21年11月16日に告示された当用漢字表には、旧字の「吉」が収録されていました。この告示は、内閣総理大臣の名において官報に掲載されたのですが、官報に印刷された内閣総理大臣の名は「𠮷田茂」でした。当用漢字表には旧字の「吉」を収録しておきながら、内閣総理大臣自身は新字の「𠮷」を使っていたのです。ただし、告示された当用漢字表のまえがきには「字体と音訓との整理については、調査中である」と書かれていました。当用漢字表の字体は、まだ変更される可能性があったのです。
字体の整理をおこなうべく、文部省教科書局国語課は昭和22年7月15日、活字字体整理に関する協議会を発足させました。活字字体整理に関する協議会は、昭和22年10月10日に活字字体整理案を国語審議会に報告しました。この整理案では、新字の「𠮷」ではなく、旧字の「吉」を活字字体として使うべきだ、と報告されていました。また、昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には、旧字の「吉」が収録されていたので、「吉」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。新字の「𠮷」は、子供の名づけに使えなくなりました。
昭和23年6月1日、国語審議会は当用漢字字体表を答申しました。活字字体整理案を受けて、当用漢字字体表にも、旧字の「吉」が収録されていました。昭和24年4月28日、当用漢字字体表が内閣告示されるにあたり、内閣総理大臣は一つの決断をしました。官報に掲載する名を「吉田茂」と改めたのです。前日の4月27日までは、新字の「𠮷」で「𠮷田茂」としていたところ、この日以降の官報は、全て旧字の「吉」で「吉田茂」を印刷することにしたのです。
半世紀の後、平成16年3月26日に法制審議会のもとで発足した人名用漢字部会は、常用漢字や人名用漢字の異体字であっても、「常用平易」な漢字であれば人名用漢字として追加する、という方針を打ち出しました。この方針にしたがって人名用漢字部会は、当時最新の漢字コード規格JIS X 0213(平成16年2月20日改正版)、平成12年3月に文化庁が書籍385誌に対しておこなった漢字出現頻度数調査、全国の出生届窓口で平成2年以降に不受理とされた漢字、の3つをもとに審議をおこないました。でも新字の「𠮷」は、出現頻度回数調査の結果が114回だったものの、JIS X 0213に収録されていなかったため、人名用漢字の追加候補になりませんでした。
この結果、現在に至っても、旧字の「吉」は常用漢字なので出生届に書いてOKですが、新字の「𠮷」はダメなのです。