漢字の現在

第37回 「△」のない中国とベトナム

筆者:
2009年4月30日

日韓のもろもろの文化に、歴史の中で、圧倒的な影響を与えた中国では、採点記号はどうなっているのだろう。


中国では現在、試験回答の正解には「」とチェックマークを付す。中国ではローマ字の「v」の字のように左右の線の上の高さは同じくらいともいう。ただし、博士論文の審査の時に、合格者に書かれるマークは「○」で、この丸を付けることを通常「画圏」(hua4 quan1 ホア・チュエン)という(書類の名前欄に、自分がその書類を見終えたということを記すためにも使われる)。中には「」を書いて「○を付けた」と表現することもあるそうだ。

反対に、不正解には「×」を記す。中国では、古くから「凶」という漢字に「×」という表象を含ませたり(前回参照)、「乂」(ガイ)という形態で、草を「刈」る意を表す字などがある。後者は鋏(ハサミ)の象形との説もある。

そして、半分くらい正解、つまり日本でいう三角には、「」の右に「ヽ」を交差させた独特な記号である「」を記す。

それぞれの記号には、韓国と違って名前でよく呼ばれる。「」は「対号」(对号dui4hao4 ドェイ・ハオ)で、「对」(dui4)は正解の意。「×」は「叉(cha1 チャー)号」で、交差の意の名称であり、「叉儿」(char1 チャール)とも呼ばれる。「×」を付けることを「打叉」(da3 cha1 ダー・チャー)という。「○」と異なり、「打」という動詞をとるのは「」と同様だ。

この「×」記号は、試験以外でも、誤ったもののほか、廃棄する物や犯人などの名に対しても記されるなど、否定的な意味に使用されることがある。「某」の代わりに伏せ字としても用いられている。なるほど、これは日本にもある。しかし、日本では、さらに女子中高生たちは「!!」の「.」の部分を「○」や「×」に代えてかわいらしくなるように書き、そこに好悪などの感情を含意させるようなこともある。

そして中国でユニークなのは、先の半分正解で、その名も「半対(号)」(ban4dui4hao4 バン・ドェイ・ハオ)、正解の「チェック」と不正解「×」の両方の形を兼ねていて、あたかも漢字の指事文字や合字と共通するような発想によるデザインをもつ。これには、マイナスを示す点数を併記することがあるという。これをパソコンで入力するためのうまい方法が見付からないようで、インターネット上でもどうやったらできるのかを尋ねる中国語での質問が散見される。

香港から広まった中華調味料の「XO醤」(エックス・オウ・ジャン)は、最高級の意である「エクストラ・オールド」(extra old)に由来するというが、この形態も何か人々の心を捉えるものがあったのであろう。概してシンボルには、普遍性をもつものと偏在性の強いものとが共存している。感覚に依存するものは、社会での慣習となって空気のような当たり前の存在と化す。「×」や「/」が交通標識や記号として、道路への進入やその場での喫煙などを禁止することを表意する。封書にも記される「〆」は、「占」の「卜」が発生の要因ではあるが、発生と定着に至る原因は、暗合ということだけでは済まされない意識が存したように思われる。

こと採点記号については、日本は韓国に近く、中国はユニークなようだ。中国国内に住む朝鮮・韓国系の人々も、中国式の記号で採点されるのだそうで、独自の名称もなくはないようだが、やはり韓国と同様、それらの名称で呼ばれることはほとんどないのだという。


それでは、ベトナムではいかがであろうか。学生の答案用紙に対して、先生が採点する際の正解の記号は「v」か「đ」だそうだ。「v」はチェックマークなのだそうで、ベトナム語で呼ぶと「正解のチェックマーク」(”dấu tích đúng” , “dấu chếch đúng”)となる。「ティック」は「チェック」の1つの語形のようだが、「チェック」という語には「ゆがんだ、傾いた」という意味も偶然であろうか存在している。「ドゥン」は正しいという意。ただ、その記号もローマ字の「ヴィー」と同じ形であるため、「vのチェックマーク」という言い方もある。また、「dấu “vê”」つまり「”vê”」という印の「ヴェー」は、「丸める」(「○じるし」)という意味だそうだ。「đ」は「đúng」つまり正しいという意味の語を頭文字だけで省略したものである。記号の名称は「dấu “vê”」あるいは「”đ” (đúng)」。

半分正解の記号は「v」右の真ん中に「、」を書く()。これは、先に見た中国と同じ方式だが、名前は「dấu nửa chữ “vê”」と、半分という意味の語を交える。

そして、不正解の記号は「x」か「s」だそうだ。「s」は誤るという意味の「sai」という「差」の漢越語の頭文字である。名称は、「dấu “nhân”」か「chữ “s” (sai )」。かつては「dấu gạch chéo」だったが、現在では「dấu “nhân”」も使うようになっているとのこと。この「ガッキ」は線を引く、「チェオ」は「ななめの・いびつな」という意味だ。「x」は算数・数学の「x」というローマ字と形が似ていることから、記号の名称は「dấu “nhân”」である。「エックス」と見立てる発想は、各地に見られる(前回前々回参照)。この「”nhân”」は、漢字「人」の漢越語ではなく、「掛ける・乗」という意味だそうだ。日本の九州方言と同じ発想もここにあった。

ベトナムでは、以上の記号が普通用いられているのだそうだが、先生によって、採点の際の記号が違う場合もあり、また記号の名称も異なるものもあるという。採点者らによって個性が現れるという点は万国共通のようだ。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』
『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究により、2007年度金田一京助博士記念賞に輝いた笹原宏之先生から、「漢字の現在」について写真などをまじえてご紹介いただきます。