漢字の現在

第133回 図書館の集団文字(位相文字)

筆者:
2011年10月4日

一時期、これは、と思ってパワーポイントでの資料作成に凝ったことがある。準備に手間が掛かるが、作ってしまえば発表当日はそのきれいな画面と時には音声にまで頼って話すことができる。

ある学会で、アニメーション機能まで付いた労作の動画を、レジュメ代わりとして眺めていたときに、これは自分の頭の中を素通りしてしまっている、と気付いた。面白かったかな、といった感想は残るが、中身が箇条書き風に整理されすぎているためもあるのか、聴き手のものにならないように感じたのである。

私は、それから自分にとっての基本に立ち返ろうと思った。聴きに来て下さっている方々に合わせられるように「ぶっつけ本番」を旨とするようになった。様々な理由からパワーポイントを使わない主義だと公言する教授もおいでとのことで、その思想に共感し、意を強くする。一方、パワポを使わない先生は怠けているというような評価も一部で耳にするが、講義も講演も、私の場合、基本はしゃべりと板書だということは確信している。皆が眠くなる食後、とくに午後の時間帯こそそうだ。

一言一句、あらかじめ準備をすることも、求められないかぎりやめた。紙芝居のような原稿の切れ端を持っていき、手元に並べていく。落とせばゴミと見紛うメモだ。これは、話にある程度流れを作る必要と、話す内容を忘れて頭の中が真っ白にならないための資料だ。プリントも、来場の方に上を向いてもらいたいという気持ちもあって、最小限に減らした。聴いて下さる方々の関心に即して、内容をその場で微妙に変え、話し方も工夫しようと試みてみる。

先日、いろいろなご縁がつながって、私立大学の図書館に勤務される方々360名にお話をする機会を頂いた。司書の方々に対しては、大人しそうなイメージを勝手に抱いていて、さらに先人たちの講演されたテーマを見て、頭を抱えた。何とか、自分が学生時代からの大学図書館との関わり、配架された蔵書にいかにお世話になったものか、知識面でも理論面でも、知の再構成のためにどれほど必要な場なのかを、ささやかな経験をもってお話しし、さらに漢字研究に不可欠な場であること、そしてどれほど豊かな文字情報が眠っている所であるのかをあくまでも自己流に、それらの限界を含めて語ってみた。

そこにおおらかに育ててもらい、今でも助けてもらっている図書館へ、いつもの如く我流ながら恩返しが少しでもできたならば、この上ない幸いであった。調べに苦闘する私の若き姿の幻も浮かんだ方がおいでだったそうだ。電子版が整備されていなかったころの『大蔵経』からの調査など、発熱した夜には夢に繰り返し現れ、魘されたこともある。ネット上で全文検索がとにもかくにもできる良い時代となったので、そうしたツールを活用した新たな研究がどんどん開かれていくはずだと思う。

膨大な蔵書は、書誌に関する遡及入力が済み、多言語対応まで完備された大学図書館だ。ネットのシステムで所在を検索して来たかと思えば、昼寝だけをしていたり、中には蔵書を汚損したり、レポートのために借り出したまま1年間も放置したりするケースが出るなどの現状は、どこでも同じなのだそうだ。学費が講義や図書館を成り立たせていることを忘れてはもったいない。元を取ろうとする姿勢を、学生たちにはもたせようと努めなくては、と躍起になっている。

世の中の文字の現実も、本にどんどんと盛り込んで、調べごとや読書をする方々や、少々無理のあるリファレンス内容にも応対する司書の方のためにも、さらに役立てて頂かなければ、と、今回話をするに当たって、会場で落としたらゴミと間違われそうな紙片の原稿を整理したり、実際に壇上で話を進めたりしながら、痛感した。もちろん、本にできることは、各自が知ることのきっかけ作りまでかな、とも思っている。「悉く書を信ずれば則ち書無きに如かず」、元々の意味とは変わっているようだが、これはこれで当を得ている。本はもちろん、どこかに絶対の正答が眠っている、なんて思ってしまうと危ういものだ。


図書館関係者が集まる会ということで、ゆかりの深い「字」を持ち出してみた(上の緑色の字を参照)。図書館員には常用の字で、メモ書きなどに頻出するのだが、活字になることは稀で、文字コードに採用する必要性も唱えられない字だ。とある甲骨文字を楷書にした隷定字形などに、たまたま同形の字があるため、頑張ればパソコンでも使えるようになっているのかもしれない。この字は、岩波新書『日本の漢字』に記したとおり、秋岡梧郎というアイデアに富んだ先人が90年ほども前に発明した「字」だった。蛇の道は蛇、なんていうと讃えていないようだが、この事実に迫るきっかけを教えて下さった国会図書館の司書さん(お名前をうかがおうとしたが、固辞された)に感謝したい。この字は、何と読むかお分かりだろうか。ヒント:答えは、この本文の中にたくさん書いてある。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』
『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。