« 『新明解国語辞典 第七版』本日発売開始! - 「百学連環」を読む:術の定義――ハズリットの引用の引用 »

談話研究室にようこそ 第17回 呪文をどう翻訳するか(その1)

2011年 12月 1日 木曜日 筆者: 山口 治彦

第17回 呪文をどう翻訳するか(その1)

 今回と次回では『ハリー・ポッター』シリーズにおける呪文の翻訳について考えます。『ハリー・ポッター』の呪文は,第10回で述べたように,真性型呪文です。普及型呪文「アブラカダブラ」のようにひとつでどのような魔法にも対応できるわけではありません。したがって,用途に応じてたくさんの呪文を考案せねばなりません。呪文の作成指針としてとられたのがラテン語もどきということば遊びです。

 そのようにして作られる『ハリー・ポッター』の呪文は,見かけは難解ながらも,(ラテン語系の)英語の知識があれば何の呪文かある程度予想できます。しかも,ことば遊びだけに,その呪文に込められた作者の「遊び」がわかると,読者はちょっとうれしい。作者との共犯関係が生まれる,という巧みな設定になっていました。

 ですが,問題がひとつあります。

 ラテン語系英単語(の部分)を組み合わせて作った呪文だけに,翻訳がむずかしいのです。原文の「遊び」をそっくり残して日本語に翻訳することは不可能です。

 この問題にどのように対処できるでしょうか。

 ラテン語もどきの代わりに漢語もどきにするのはどうでしょう。日本語と漢語の関係は,英語とラテン語の関係に似ています。その関係を利用して漢語調の呪文にしてみるわけです。たとえば,Petrificus Totalusの意味は,ラテン語由来の単語petrification (石化)とtotal(全体の)から類推できました。そこで,この呪文を「全身的石化勧請」と訳すのはどうでしょうか。

 ……。

 中国のお寺で修行する僧侶が唱えるという設定ならいいかもしれませんが,ハリーやハーマイオニーが唱えると,作品の世界観を壊しかねません。いや,木っ端みじんです。当然,却下です。やはり,オリジナルのことば遊びのニュアンスを日本語に移すのは無理があります。

 ならば,「遊び」を翻訳することはあきらめて,呪文をシンプルに片仮名表記にするのはどうでしょうか。少なくとも呪文らしい響きは伝えられます。実際,映画『賢者の石』に付された字幕(戸田奈津子訳)ではそうしています。この方法の欠点は,片仮名表記された呪文自体からはその内容を観客が推し量れないことです。もっとも,前後の状況から何の呪文が唱えられたのかある程度理解できますし,とりわけ映画では映像の助けがあるので,ストーリーの理解にほとんど支障はないでしょう。

 ルビを使う手もあります。映画『不死鳥の騎士団』や『謎のプリンス』の字幕(岸田恵子訳)はこの方法を採用しています。たとえば,守護霊招来の呪文Expecto Patronum,失神の呪文Stupefy,そして武装解除の呪文Expelliarmusには次のような字幕がつけられていました。(*)

(22) a. “守護霊よ 来たれ!”エクスペクト・パトローナム
b. “マヒせよ!”ステューピファイ
c. “武器よ 去れ!”エクスペリアームス

若干,煩雑な印章を与えるかもしれませんが,何の呪文かよく分かります。もとの呪文を片仮名読みしたルビを振ることで呪文らしい響きも伝えられます。映画の字幕翻訳としては,かなりいい線を行っていると思います。

 付言すると,(22b)は「マヒせよ」と片仮名表記になっていますが,「麻痺せよ」と漢字で書くと,「麻痺」に読みがなのルビを打つ必要が生まれるからでしょう。岸田恵子の字幕では,そう頻度は高くないものの,難易度の高い漢字にはルビがふられていました。 また,練習や戦闘で同じ呪文が繰り返される場合は,DVDの字幕翻訳と同様に片仮名のみの表記がなされています。

 では,小説の翻訳にも同じ方法がいいでしょうか。あなたが翻訳者ならどうしますか。

<< 前回  次回>>

* * *

(*) 編集部注=このページをご覧になる環境によって、ルビが該当文字の上に表示される場合と、( )に括った状態で表示される場合があります。実際の字幕では、文字の上に表示されています。

*

◆ほかの回をお読みになる方は⇒「談話研究室にようこそ」目次へ

【筆者プロフィール】

『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版) 『語りのレトリック』(海鳴社)山口治彦(やまぐち・はるひこ)

神戸市外国語大学英米学科教授。
専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。
著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998)『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。

*

【編集部から】

雑誌・新聞・テレビや映画、ゲームにアニメ・小説……等々、身近なメディアのテクストを題材に、そのテクストがなぜそのような特徴を有するか分析かつ考察。
「ファッション誌だからこういう表現をするんだ」「呪文だからこんなことになっているんだ」と漠然と納得する前に、なぜ「ファッション誌だから」「呪文だから」なのかに迫ってみる。
そこにきっと何かが見えてくる。

2011年 12月 1日