歴史を彩った洋楽ナンバー ~キーワードから読み解く歌物語~

第22回 End of The Road(1992)/ ボーイズ II メン(1991-)

2012年3月7日
22endoftheroad.jpg

●歌詞はこちら
//lyrics.wikia.com/Boyz_II_Men:End_Of_The_Road

曲のエピソード

1980年代後期~1990年代に飛ぶ鳥を落とす勢いだったソングライター/プロデューサー・コンビのベイビーフェイス&L.A. リード。さらに彼らの盟友ダリル・シモンズを加えて3人で合作したこの曲は、もともとベイビーフェイスが自分でレコーディングするつもりで作ったものだった。が、パートナーのリードが売れっ子R&Bヴォーカル・グループのボーイズIIメンにレコーディングさせた方がいいだろうと言い出し、急遽、グループの本拠地フィラデルフィアへ飛び、わずか3時間でヴォーカル・トラック(歌の部分)のレコーディングを済ませたという。たった3時間で出来上がった歌声は、多くの人々の耳と心をとらえ、何と13週間にわたって全米No.1の座を死守した。エディ・マーフィの主演映画『BOOMERANG』の劇中歌でもある。

一聴すると、関係がこじれそうになった恋人同士の男性の方が、女性に向かって「先へ進めないところ(=the end of the road)まできてしまったけれど、それでも君と別れられない」と切々と恋心を歌い上げるラヴ・ソングに聞こえるが、当時、経済も社会状況も逼迫していたアメリカには、息苦しい空気が蔓延しており、そうした時代の行き詰まり感を“the end of the road(意訳するなら「どん詰まり状態」)”と捉えた多くのアメリカ人の共感を呼んだことも、この曲が大ヒットした要因のひとつだった、と分析する向きもある。

曲の要旨

彼女との関係がこじれるところまでこじれて、どうしていいのか判らなくなってしまったひとりの男。別れも告げずに黙って去ってしまった彼女への思いを、どうしても断ち切れずにいる。彼女が側にいることが当たり前だったのに、今では夜もロクに眠れない。それどころか、恥も外聞もかなぐり捨てて、彼女のいない寂しさに泣き暮れる日々が続く。二人の関係は、これ以上の発展も進歩も望めない行き止まり(=the end of the road)まで来てしまったようだ。それでも彼女を諦めきれない彼は、「僕たちは二人でひとつなのに」と嘆く。果たして、彼女は戻ってきてくれるのだろうか……。そのための秘策とは?

1992年の主な出来事

アメリカ: ロサンジェルスで大規模な暴動が勃発。いわゆる“ロス暴動”。
  民主党のビル・クリントンが第42代大統領に当選。
日本: 政治家を巻き込んだ佐川急便事件発覚。竹下内閣が窮地に陥る。
世界: イギリスのチャールズ皇太子とダイアナ妃(当時)が別居を公式に発表。

1992年の主なヒット曲

I Will Always Love You/ホイットニー・ヒューストン
Don’t Let The Sun Go Down On Me/エルトン・ジョン&ジョージ・マイケル
Save The Best For Last/ヴァネッサ・ウィリアムス
To Be With You/Mr. ビッグ
I’ll Be There/マライア・キャリー

End of The Roadのキーワード&フレーズ

(a) heart/ mind
(b) I’d rather ~
(c) (the) end of the road
(d) have never been there before

本国アメリカでの人気は一時ほどではないものの、ここ日本では今でも高い人気を誇るR&Bヴォーカル・グループのボーイズIIメン。デビュー直前は5人組だったが、1991年に正式にデビューした時には4人組だった(脱退したメンバーのMarc Nelsonは、その後ソロ・シンガーとしてデビューしたが、いつの間にかミュージック・シーンから消えた)。そして現在は、3人組である。

意外なことに、彼らのデビュー曲「Motownphilly」(1991, 全米No.3)は、アップ・テンポのダンス・ナンバーだった。ところが、この「End of The Road」が記録破りの大ヒットとなってからは、バラッド(筆者は「バラード」というカタカナ語を用いない。余りに原音とかけ離れた発音だから)を得意とするヴォーカル・グループへと変貌を遂げた。もう20年近くも前のヒット曲だが、今でも彼らの代表曲のひとつである。もちろん、ライヴにも欠かせない。が、普通のラヴ・ソングと違って、そこには黙って去ってしまった恋人への未練と恋慕がタップリと詰まっている。言わずもがなだが、結婚式には不向き。

(a)の“heart”と“mind”はどう違うのか? “in my mind”、“in my heart”が歌詞に出てくるたびに、いつも疑問に思っていた。が、今から20年ぐらい前、あるラップ・アーティストのプロモーション・ヴィデオ(PV)をたまたま見ていた時に、長年の疑問と煩悶がきれいサッパリとかき消されたのだった。

そのラップ・アーティストの名前も曲名もすっかり忘れてしまったのだが、今でも鮮明に憶えているのは、♪… in my mind… とラップする時、そのアーティストが人差し指で自分の頭を指したこと。例えば♪… (in) my heart… という歌詞なら、大抵のシンガーやアーティストは、ライヴやPVで自分の胸を両手で押さえるようなポーズをとる。“heart=心”と、ハッキリと理解できるポーズだ。“mind”にだって、「心、精神」という意味があるのだが、英語圏の人々がそれらふたつの似通った単語をどう使い分けているのかが判らなかった。あのラップ・アーティストのPVは、“mind=頭の中、精神”であることを教えてくれたのだ。つまり“mind”とは、“soul”の意味に限りなく近い。もしもあの時にあのPVを見なかったなら、未だに“heart”と“mind”をどう区別して訳すか、かなり悩んだと思う。PVは、訳詞や翻訳のヒントにもなってくれる。

人気シンガーで女優のビヨンセが主役を演じた映画『CADILLAC RECORDS』(2008)で、彼女は往年の人気R&Bシンガーのエタ・ジェイムス(Etta James, 1938-2012)役を演じた。そのエタの代表曲に、次のようなものがある。

I’d Rather Go Blind (1968)

映画の中でビヨンセもカヴァーしていた有名曲である。「あなたが他の女と浮気している姿を見るぐらいなら、私は盲目になってしまいたい」と切々と歌い上げるR&Bの名曲だ。このように、(b)は「~した方が(~になった方が)マシ」という意味の言い回しで、「End of The Road」では、「死んだ方がマシ」というフレーズで使われている。彼女が去ってしまった後、心痛に耐え切れなくなった主人公の男性はそこまで追い詰められていた。“I would rather ~”は、「~したい」を表現する言い回しでもあるが、「いっそ~したい」という意味合いが強い。エタの曲が仮に「I Want To Go Blind」だったなら、その意味合いが微妙に違ってくるし、ギョッとするようなタイトルになってしまう。“would + rather”によって、「むしろ(~したい)」の意味が加味されるところがミソ。

エピソードでも触れたが、これが大ヒットした背景には、当時のアメリカ社会の状況が複雑に絡んでいる。それもこれも、曲のタイトルでもある(c) が、単に「道の終着点」ではないからだ。特に男女の関係がこじれて「来るところ(=関係が修復できないところ)まで来てしまった」を表現する場合、“the end of the road”、“the end of our road”といった表現で歌詞に登場する。そしてたいていの場合、そうしたフレーズを含む歌詞では、男女の関係がとっくに終わっている、とみていい。それをアメリカ社会に転換して考えてみると、当時の状況は「にっちもさっちもいかない状況」だったことが判る。さらに意訳すれば、「後戻りができない状況」となるだろうか。そう言えば、1990年代初頭にニューヨークとアトランタに赴いた際、街角のあちらこちらで“FOR RENT(テナント募集)”あるいは“GOING OUT OF BUSINESS(閉店セール)”の看板が目に付いたものだった。そして、街角に立つ、やけに多いホームレスの人々の姿も。確かに当時のアメリカは、「どん詰まり」状態だったのだと今にして思う。切ないラヴ・ソングをも社会情勢と重ね合わせて聴くアメリカの人々。彼らにとって、歌詞は決して聞き流すものではないのだ、と思い知らされ、ちょっぴり羨ましく思った。

厄介なのが、思わせぶりな(d)である。“there”って一体どこの場所を指すのか? 「過去にそこに一度も行ったことがない」って言うけれど、「そこ」はどこ?

これは、ラヴ・ソングに頻出する謎かけフレーズみたいなもの。ハッキリ言うと、“there”はセックスをする際の絶頂、つまりエクスタシーのことを指す。「今まで君が一度も行ったことのない場所へ連れていってあげるよ」というフレーズは、「今まで君が一度も味わったことのないエクスタシーを味わわせてあげるよ」と暗に言っているのである。もちろん、辞書で“there”を調べても「性交時の絶頂、エクスタシー」とは書いていない。そこがこの言い回しの難しさであり、ボカシ(映像などで局部を隠すアレではなく)でもある。俗っぽい言い方になるが、相手の女性に未練タラタラのこの男性は、心のどこかで彼女が去って行ってしまった理由のひとつを「閨のヘタさ加減」だと思っているフシがある。だから「君が戻ってきてくれたら、今度こそはエクスタシーを感じさせてあげる」と言っているのだ。ここのフレーズから、そんなことまでが浮かび上がってくる。男の悲哀を歌い上げた、心に沁み入るバラッドには、こんな即物的なフレーズが隠されているのだった。ビックリしたでしょう?

筆者プロフィール

泉山 真奈美 ( いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「リリック英文法」)の講師を務める。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。近作はマーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツ。

編集部から

ポピュラー・ミュージック史に残る名曲や、特に日本で人気の高い洋楽ナンバーを毎回1曲ずつ採り上げ、時代背景を探る意味でその曲がヒットした年の主な出来事、その曲以外のヒット曲もあわせて紹介します。アーティスト名は原則的に音楽業界で流通している表記を採りました。煩雑さを避けるためもあって、「ザ・~」も割愛しました。アーティスト名の直後にあるカッコ内には、生没年や活動期間などを示しました。全米もしくは全英チャートでの最高順位、その曲がヒットした年(レコーディングされた年と異なることがあります)も添えました。

曲の誕生には様々なエピソードが潜んでいるものです。それを細かく拾い上げてみました。また、歌詞の要旨もその都度まとめましたので、ご参考になさって下さい。