歴史を彩った洋楽ナンバー ~キーワードから読み解く歌物語~

第99回 In The Year 2525 (Exordium & Terminus)(1969/全米,全英共にNo.1)/ ゼーガーとエバンズ(1969-1971)

2013年9月18日
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●歌詞はこちら
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曲のエピソード

1969年という60年代最後の年に思いを馳せる時、筆者の頭に真っ先に思い浮かぶ言葉は“激動”である。そこから糸を引いて、“混沌”、“迷走”、“暗澹”といった、心の中に不安を生じさせる言葉が次から次へと浮かんできてしまう。それは、ヴェトナム戦争が泥沼化していた時期を想起してしまうせいだと自己分析してみた。一方では、“変革”、“自由”、“未来”など、来るべき新時代への抑え難い期待感のようなものも感じ取らずにはいられない。その理由は、本連載第53回のフィフス・ディメンション「Aquarius/Let The Sunshine In」(やはり1969年に全米No.1ヒット)の拙稿の中でも触れたように、“愛と平和”を掲げたヒッピー文化が勃興していた頃だからだ。今も語り草のウッドストックがこの年に開催されたのは、決して偶然ではないと確信している。

この「In The Year 2525 (Exordium & Terminus)(邦題:西暦2525年)」は、アメリカはネブラスカ州リンカーン出身で、大学時代に知り合って結成されたポップ・フォークの男性デュオ、ゼーガーとエバンズ(同曲の日本盤シングルがリリースされた当時のカタカナ表記。両者の名前をDenny Zager、Rick Evansといい、今なら“ゼイガー&エヴァンズ”と表記されるだろう)にとっての唯一のヒット曲にして、1969年の最大ヒット曲のひとつである。全米チャートでは6週間、アダルト・コンテンポラリー・チャートでは2週間にわたってNo.1の座に就き、ゴールド・ディスクを獲得した。彼らは当初、RCAと専属ソングライターの契約を結んだが、彼ら自身が歌にもギター演奏にも優れていることを知ったレーベル側が彼らにこの曲をレコーディングさせ、大ヒットに至ったというわけである。残念ながら、その後は全くヒット曲に恵まれず、“一発屋”扱いされることの多いゼーガーとエバンズだが、この曲に限り、やや嘲笑と揶揄を含んだ“一発屋”という範疇にはとてもじゃないが納まりきらない。メランコリックなメロディのみに耳を傾けていれば、悲しい失恋の曲にも聞こえなくもないが、そのタイトルが示すように、これは“未来を予言した”曲なのである。否、“予言を遥かに超越した予言”とでも言えばいいだろうか。とにかく歌詞が恐ろしい。ただただ恐ろしい。傾聴すればするほど戦慄を覚えずにはいられない。

曲の要旨

西暦2525年までに人類が生き長らえることができれば、人類の歴史は3535年まで続くだろう。遥か遠い未来に、いずれ機械が人間の代わりに何もかもやってくれるようになり、身体の様々な機能を必要としなくなる時が到来する。男と女は結婚する必要もなくなり、子供が欲しくなったなら、ガラス製の長い管の中から好きなだけ取り出せるのだ。7510年が訪れると、神がこの世に姿を現して地上を見渡し、我々人間に「そろそろこの世の終わりを告げる時だ」と言うだろう。それから1000年後、まだこの世が存在し続けているのなら、神は全知全能の御手を振りかざし、「人類が存在し続けてくれたこの地上のことを喜ばしく思う」と言うだろう。否、もしかしたら一度この世を破壊し、新たな世界を創造するかも知れない。9595年になっても、まだ人類は存在しているのだろうか。1000年の歳月が流れた今、人類はまだ悲しみの涙の海に溺れたままだ。人類がこの世を支配する時代は終わったのだ。だが、遠い遠い昔のことのように感じる出来事も、振り返ってみればつい昨日のことのように思えるのではないだろうか。

1969年の主な出来事

アメリカ: 8月15日から3日間にわたり、ニューヨーク州サリヴァン郡べセルにおいて、大々的な音楽の祭典、ウッドストック(同地近隣の村の名前に由来/正式名は“The Woodstock Music and Art Fair”)が開催される。
日本: 1月18日〜19日の2日間、学生たちが東京大学の本郷キャンパスを占拠し、警察隊を相手に激しい攻防戦を繰り広げる。世にいう“安田講堂事件”。
世界: イギリスは北アイルランドを拠点とする保守政党のアルスター統一党に属するプロテスタント系とカトリック系の両派が衝突し、各地で暴動が発生。

1969年の主なヒット曲

Dizzy/トミー・ロウ
Pinball Wizard/ザ・フー
Love Theme From Romeo & Juliet/ヘンリー・マンシーニ
Sugar, Sugar/ジ・アーチーズ
Wedding Bell Blues/フィフス・ディメンション

In The Year 2525 (Exordium & Terminus)のキーワード&フレーズ

(a) in the year 2525
(b) won’t need no 〜
(c) the Judgement Day

初めて聴くのにどこか懐かしい、という曲に出逢うことがままある。決して第三者の曲を安易に模倣した換骨奪胎ソングではなく、“万人の耳に馴染むようなメロディ”が綴られた曲だ。筆者にとって、この「In The Year 2525 (Exordium & Terminus)」(カッコ内の副題は「始まりと終わり」、即ち「この世の始まりと終わり」を指す)はまさにそういう曲だった。過去形なのは、家人の私物の日本盤シングルを初めて聴いた瞬間、「この曲、初めて聴くのに何だか懐かしいなあ…」と思わず口にしたものの、記憶をどんどん遡ってみたところ、例のFEN(現AFN)から流れてきたのを耳にした記憶がうっすらと蘇ったからだ。恐らく、筆者がFENでモータウン・サウンドやポップスをせっせと聴き始めた頃の大ヒット曲だからだろう。6週間も全米チャートでNo.1をキープしたのだから、当時の筆者が聴いていないはずがない。今、強烈に思うのは、当時この曲の意味を知らなくて本当に良かった、ということ。幼稚園児〜小学1年生の子供にこの歌詞の内容を話して聞かせたら、恐ろしさの余り泣き出すか、夜、眠れなくなるかのどちらかに違いない。ああ、怖い。

この曲の邦題「西暦2525年」は、“もうこれしかない!”というほど極上の出来映え。直訳と言ってしまえばそれまでだが、1969年当時の日本人はもちろんのこと、世界中の人々が2525年はおろか、現在の2000年代にすらまだ想像が及ばなかったはずだから。しかし、時の流れは早いもので、「ミレニアム」というカタカナ語が今やすっかり死語であり、こっぱずかしい響きになってしまっていることからも、歳月を経るにつれてどんどん時の流れが加速しているような気がする。今の世の中が気忙しくて落ち着かない。

注目して頂きたいのは、やはりタイトルの(a)。この際、年代などどうでもいい。肝心なのは、その読み方である。ここでは、“twenty-five, twenty-five”と歌われており、歌詞に登場する、卒倒しそうなほど遠い未来の3000〜9000年代までの年号も同じ読み方。つまり、1900年代の読み方――例えば1995年なら“nineteen-ninety-five”――ということ。ところが2000年代に突入すると、英語圏での年代の読みは“two-thousand and 〜”というのが何故だか主流になった。中には、1900年代式の年号の読み方をする英語圏の人々もいるが、後者を英語ニュースなどで耳にする機会はそう多くはない。そのことがどうしても不思議である。ここ日本でもヒットした洋楽ナンバー「Twenty Ten(邦題:誓いのフーガ)」(アーティストはTinkerbells Fairydust/日本での表記は単にフェアリーダスト)は、その読みをまんまタイトルに用いている。彼らは1960年代にイギリスで結成されたバンドだが、偶然にも同曲がリリースされたのも1969年のこと(この符合は一体何?)。当然ながら2010年という未来のことについて歌われており、こちらは“2010年になったら、僕と君はどうなっているだろうね?”という内容のラヴ・ソング風ナンバーで、「西暦2525年」に較べると他愛のないものに聞こえる。蛇足ながら、筆者はたまたま昨年「誓いのフーガ」の訳詞を依頼されて担当したのだが、“恐ろしい”という感覚は微塵も覚えなかった。

それら2曲から推測されるのは、1969年当時、両アーティストが、2000年代になったら年号の読み方が間違いなく1900年代式のそれになる、と信じて疑わなかったことだ。筆者もまた、よもや2000年代の主流の読み方が“two-thousand and 〜”などという回りくどい言い方になるとは夢にも想像していなかった。本当に言いづらい。今も2000年代の読み方をどうするかが英語圏の各国では論争の的になっているが、未だに結論が出ていないという。早く何とかしてちょうだい。

(b)は本連載で何度もご紹介している“二重否定=否定の強調”で、特にアフリカン・アメリカン・アーティストによるR&B/ソウル・ミュージックが席巻するようになってからは、ロック・アーティストやポップスを歌うシンガーたちも積極的に二重否定を歌詞に取り入れるようになった。もちろん、もともとはアフリカン・アメリカンの人々が話すエボニクスが起源である。ゼーガーとエバンズは、(b)を含むヴァースの内容を強調するべく、意識的に二重否定を用いたのであろう。

この曲で最も背筋が凍るのは、(c)が登場するヴァースだ。(c)は、クリスチャンでなくとも一度は耳にしたことがあるであろう「最後の審判の日=この世の終わり」という意味。“judgement day”と、それぞれの単語の頭文字が小文字である場合は、文字通り「裁判の判決の日」を指す。(c)のように、人名や商品名など以外で頭文字が大文字の単語と出くわした際には、一度は辞書で調べてみることをお薦めしたい。十中八九、そこには字面通り以外の、あるいは字面からは想像もつかない意味が潜んでいるからだ。筆者はそれぞれ大文字の(c)の字面を見るだけでも鳥肌が立つ。近年の尋常ならざる天変地異がそうさせるのかも知れないが……。

アメリカだったかイギリスだったか、記憶は定かではないものの、筆者は最近になって、英語圏のニュースでキャスターが年号の“2020”を“twenty-twenty”と呼んでいるのをハッキリと耳にした。そのニュースとは――みなさん、もうお判りでしょう。そう、2020年のオリンピック開催地が東京に決定したことを伝えるもの。ひょっとしたら、2020年以降は、英語の年号の読み方が1900年式に変わっているかも知れない。今はただ、史上二度目となる東京でのオリンピック開催の時まで、この地球に「最後の審判の日」が訪れないことを祈るのみ。

筆者プロフィール

泉山 真奈美 ( いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「リリック英文法」)の講師を務める。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。近作はマーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツ。

編集部から

ポピュラー・ミュージック史に残る名曲や、特に日本で人気の高い洋楽ナンバーを毎回1曲ずつ採り上げ、時代背景を探る意味でその曲がヒットした年の主な出来事、その曲以外のヒット曲もあわせて紹介します。アーティスト名は原則的に音楽業界で流通している表記を採りました。煩雑さを避けるためもあって、「ザ・~」も割愛しました。アーティスト名の直後にあるカッコ内には、生没年や活動期間などを示しました。全米もしくは全英チャートでの最高順位、その曲がヒットした年(レコーディングされた年と異なることがあります)も添えました。

曲の誕生には様々なエピソードが潜んでいるものです。それを細かく拾い上げてみました。また、歌詞の要旨もその都度まとめましたので、ご参考になさって下さい。