タイプライターに魅せられた男たち・第175回

山下芳太郎(30)

筆者:
2015年4月2日

1917年11月16日、委員会一行はワシントンDCに到着、在米特命全権大使の佐藤愛麿の出迎えを受けました。ワシントンDCでは一週間の滞在を予定しており、その間にアメリカ連邦政府の要人たちと会談をおこなうべく、佐藤は事前に手筈を整えていました。ホワイトハウスでのウィルソン(Thomas Woodrow Wilson)大統領との会見をはじめとして、マカドゥー(Williams Gibbs McAdoo)財務長官、レッドフィールド(William Cox Redfield)商務長官、フィリップス(William Phillips)国務次官補、ロング(Samuel Miller Breckinridge Long)国務次官補、ポーク(Frank Lyon Polk)国務省参事官、ハーディング(William Proctor Gould Harding)連邦準備銀行局議長およびハムリン(Charles Sumner Hamlin)前議長、トンプソン(Robert Means Thompson)海軍大佐、ハーレー(Edward Nash Hurley)戦時船舶局議長、バルーク(Bernard Mannes Baruch)戦時産業局参事官など、数多くの要人との午餐会や晩餐会が、昼となく夜となく続きました。佐藤や目賀田としては、日本帝国政府特派財政経済委員会に対する「誤解」を払拭し、アメリカと日本が経済的なパートナーであること、そして今後もパートナーであり続けることを、ワシントンDCでアピールしておく必要があったのです。

その上で、佐藤と目賀田は一つの賭けに出ました。ミード陸軍基地の視察を申し出たのです。ミード陸軍基地は、ヨーロッパへの派兵のために創設された基地で、世界大戦におけるアメリカ最大の軍事拠点でした。ワシントンDCとボルチモアのほぼ中間に位置しており、ペンシルバニア鉄道から専用線が引き込まれているので、ワシントンDCからは目と鼻の先です。もちろんアメリカは、目賀田委員会の視察を断る可能性もあります。戦時体制下なのですから、謝絶の理由は何とでもつくでしょう。一方で、日本帝国政府特派財政経済委員会の視察を謝絶したとなれば、それはアメリカ側の「誤解」が、かなり根深いものだということになります。

11月21日、山下たち委員会一行は、ミード陸軍基地にいました。国賓として招かれた委員会一行は、クーン(Joseph Ernst Kuhn)師団長の案内で、第79歩兵師団の訓練の様子を視察することになったのです。クーンは、ミード陸軍基地に来る前にはアメリカ陸軍大学校の校長を務めており、軍隊におけるモラルはレクリエーションとスポーツによって育まれる、という考え方を持った人物でした。もちろん、ミード陸軍基地は、世界大戦におけるアメリカの「役割」の一翼を担っているのであり、まもなく第79歩兵師団もヨーロッパのどこかに派兵されていくのだろう、というのは山下にもわかっていました。ただ、山下が経験した帝国陸軍とは、かなり様子が違っているというのも事実でした。

山下芳太郎(31)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。