タイプライターに魅せられた男たち・番外編第6回

タイプライター博物館訪問記:菊武学園タイプライター博物館(6)

筆者:
2015年11月19日

菊武学園タイプライター博物館(5)からつづく)

菊武学園の「Franklin Typewriter」
菊武学園の「Franklin Typewriter」

「Franklin Typewriter」は、1891年から1907年頃にかけて、ボストンのキダー(Wellington Parker Kidder)が製作したタイプライターです。40キーのモデルと42キーのモデルがあり、40キーのモデルはNo.1・No.3・No.5・No.7・No.9という奇数のモデル番号が、42キーのモデルはNo.2・No.4・No.6・No.8・No.10という偶数のモデル番号が、それぞれ付与されていたと考えられています(Richard Earl Dickerson: The Franklin Typewriters, ETCetera, No.1 (1987年10月), pp.2-5)。この菊武学園タイプライター博物館が所蔵する「Franklin Typewriter」は、モデル番号が記されていないものの、40キーで、フロントパネルにオールド・イングリッシュ書体の「The Franklin.」が描かれ、後部右側に記された製造番号が「5001」であることから、1895年製造の「Franklin Typewriter No.3」だと思われます。前面中央の銘板には「PAT. DEC. 8TH 91 OTHER PATS PEND’G.」とあるので、その後(1892年以後)にキダーが取得した特許(たとえばU.S. Patent No.471794)との関係が気になりますが、それでも1895年製造で間違いないでしょう。

菊武学園の「Franklin Typewriter」前面中央の銘板
菊武学園の「Franklin Typewriter」前面中央の銘板

「Franklin Typewriter」の特徴は、独特のカーブを描くキーボードと、ダウンストライク式という印字方式にあります。この「Franklin Typewriter」では、40キーが3列のカーブ上に配置され、キー配列そのものはQWERTYに近いのですが、「V」と「B」の間に大きなスペースバーが挟まっていたり、「L」が下段「M」の右横に配置されていたりします。「X」の手前にあるのがシフト、「M」の手前にあるのがシフトロックで、プラテンを前後させることで各キー2種類の文字が打てるようになっています。

菊武学園の「Franklin Typewriter」後面
菊武学園の「Franklin Typewriter」後面

フロントパネルの後ろには、40本のタイプバー(活字棒)が、キーボードと同じくカーブを描いて配置されています。タイプバーはそれぞれがキーにつながっており、キーを押すと対応するタイプバーが打ちおろされて、プラテンの上に置かれた紙の上面に印字がおこなわれます。紙の上に印字がおこなわれるので、オペレータがフロントパネルの向こうを上から覗き込めば、印字された文字を確かめることができるのです。多少、見にくくはあるものの、打った直後の文字を確認できるという点で、ダウンストライク式の「Franklin Typewriter」は、かなり画期的なタイプライターだったのでしょう。

菊武学園の「Franklin Typewriter」を右上から覗き込む
菊武学園の「Franklin Typewriter」を右上から覗き込む

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。木曜日の掲載です。