人名用漢字の新字旧字

韓国の人名用漢字は違憲か合憲か(第2回)

筆者:
2016年9月1日

第1回からつづく)

しかし「嫪」は、韓国の人名用漢字8142字には含まれていません。このような場合、「家族関係の登録等に関する規則」第37条第3項にしたがって、子供の家族関係登録簿の名には、ハングルで「로」と記されることになります。また、漢字とハングルを交ぜた名は許されていないので、この場合、名の残りの漢字も全てハングルに置き換えられることになります。ちなみに韓国の戸籍は、2007年12月31日をもって廃止されており、代わりに家族関係登録簿が用いられています。

子供の名に「嫪」が使えないことを不服として、請求人(子供の父親)は憲法訴願審判を請求しました。大法院(最高裁判所)が定めた人名用漢字は憲法違反だと主張して、そのことを憲法裁判所に判断してもらうよう求めたわけです。韓国では、憲法裁判所と大法院が独立しているので、こういうやり方が可能なわけです。ここで憲法裁判所が、何を違憲合憲の判断対象としたのか、決定文から見てみましょう。

名は個人の同一性を識別する記号として、個人のアイデンティティと個別性とを表し、人間の社会的生活関係形成の基礎となる。ところで、名は通常、両親によって決定される。すなわち両親は出生した子の名を付けて出生申告をすることになるところ、請求人は審判対象条項がこのような「両親が子の名を付ける自由」を侵害すると主張する。
よって「両親が子の名を付ける自由」が憲法で保護されうるのかに関して見たところ、子の養育は両親に付与された権利であり、義務として子が正常な社会的人格体に成長できるよう面倒を見ることであり、その子の社会的人格上の初めての端緒が名を持つことであるのだから、両親が子の名を付けるのは子供の養育と家族生活のために必須なことであり、家族生活の核心的要素ということができる。したがって、たとえ憲法に明文規定されていなくとも、「両親が子の名を付ける自由」は、婚姻と家族生活を保障する憲法第36条第1項と、幸福追求権を保障する憲法第10条によって保護されていると言える。
審判対象条項は、出生申告時に子の名に使える漢字の範囲を「人名用漢字」に限定することで、このような「両親が子の名を付ける自由」を制限しているので、憲法第37条第2項が定める過剰禁止原則に審判対象条項が違反して、請求人が子の名を付ける自由を侵害しているのかどうかに関して見る。

ここでいう「審判対象条項」は、「家族関係の登録に関する法律」第44条第3項と「家族関係の登録に関する規則」第37条を指しています。韓国の憲法第10条・第36条第1項・第37条第2項も見てみましょう。

第10条    全ての国民は、人間としての尊厳および価値を有し、幸福を追求する権利を有する。国家は、個人の有する不可侵の基本的人権を確認し、これを保障する義務を負う。
第36条    ①婚姻および家族生活は、個人の尊厳と両性の平等を基礎として成立し維持されなければならず、国家は、これを保障する。
第37条    ②国民の全ての自由および権利は、国家安全保障、秩序維持または公共の福祉のため必要な場合に限り、法律により制限することができるが、制限する場合においても、自由および権利の本質的内容を侵害することはできない。

すなわち人名用漢字が、憲法に規定された権利を制限しているのは明らかなので、その制限が憲法第37条第2項の「自由および権利の本質的内容を侵害」していないか、それを憲法裁判所は判断の対象としたわけです。

第3回につづく)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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