『日本国語大辞典』をよむ

第23回 バリアント①:ちょっと違うぞ

筆者:
2017年12月17日

言語学では、ある語の「変異形」を「バリアント(variant)」と呼ぶ。現代日本語では「ヤハリ」「ヤッパリ」を使う。場合によっては「ヤッパ」や「ヤッパシ」を使うこともあるかもしれない。「ヤハリ」を標準語形と考えれば、他の語形は「変異形」ということになる。『日本国語大辞典』は「ヤッパリ」「ヤッパシ」「ヤッパ」すべて見出しとしている。「ヤッパシ」の使用例には安原貞室の著わした「かた言〔1650〕」があげられているので、「ヤッパシ」も江戸時代には使われていたことがわかる。

「ヤハリ」に促音が入ったのが「ヤッパリ」で、その末尾の「リ」が「シ」に替わったものが「ヤッパシ」で、これらの末尾の「リ」あるいは「シ」が脱落したのが「ヤッパ」だとみることができる。変化すればするほど、もとの語形からは離れていく。したがって、変異形には「ちょっと違う語形だな」と思うようなものから、「だいぶ違った語形だな」と思うようなものまである。今回はその「ちょっと違う語形」を話題にしてみたい。変異形を話題にするので、方言もとりあげていくことにする。方言の地点番号は省いた。

あぼちゃ 方言 〔名〕(1)植物、カボチャ(南瓜)。《あぼちゃ》出羽置賜郡 島根県(以下略)

『日本国語大辞典』の見出し「カボチャ」には「({ポルトガル}Cambodiaから)」とあり、語義【二】(1)の語釈末には「本種ははじめカンボジア原産と考えられていたので、この名があるという」と記されている。そうであれば、「カボチャ」はもともとポルトガル語の「Cambodia」の変異形であったことになる。その「カボチャ」の最初の子音[k]が脱落した語形が「アボチャ」で、変化としては頭子音が脱落したということであるが、「アボチャ」と「カボチャ」は「ちょっと違う語形」を少し超えているような気もする。それは語に形を与えている最初の音が異なるからだろう。

あらうる〔連体〕「あらゆる(所有)」に同じ。

あらえる〔連体〕「あらゆる(所有)」の変化した語。

前者の使用例として、「御伽草子・熊野の本地(室町時代物語集所収)〔室町末〕」と「日葡辞書〔1603~04〕」、後者の使用例として、「史料編纂所本人天眼目抄〔1471~73〕」と「サントスの御作業〔1591〕」があげられているので、両語形とも、室町時代には確実にあった語形であることがわかる。「アラユル」と「アラウル」、「アラエル」とをそれぞれ仮名で書くと、「ユ」が「ウ」、「エ」に替わった語形のようにみえてしまうが、室町時代の「エ」はヤ行の「エ」、すなわちヤ行子音がついた[je]という音だと考えられている。そうであれば、「ウ」は「ユ」=[ju]の頭子音[j]が脱落したものということになる。また、「エ」は[je]で、「ユ」は[ju]なので、こちらは母音[u]が母音[e]に替わった「母音交替形」であることになる。

いごく【動】〔自カ五(四)〕(「うごく(動)」の変化した語)(以下略)

おごく【動】〔自カ四〕(「うごく(動)」の変化した語)(以下略)

見出し「うごく」の末尾には、「福島・栃木・埼玉方言・千葉・信州上田・鳥取・島根」で「エゴク」ということが示されており、この「エゴク」を含めると、「イゴク」「エゴク」「ウゴク」「オゴク」が存在することになり、「アゴク」以外が揃っていておもしろい。

インテレ〔名〕「インテリ」に同じ。

インテリ〔名〕(「インテリゲンチャ」の略)(1)「インテリゲンチャ」に同じ。(2)知識、学問、教養のある人。知識人。

見出し「インテレ」の使用例として髙見順の「いやな感じ〔1960~63〕」の次のようなくだりがあげられている。オンライン版で検索をかけると、髙見順『いやな感じ』は419件がヒットする。ある程度使われている資料だ。そんなこともあり、この本も購入した。ここではそれを使って、『日本国語大辞典』よりも少し長く引用する。

「勉強だ?」

丸万はせせら笑って、

「勉強で革命ができるかよ」

「そりゃ、そうだが」

「おめえは生じっか、中学なんか出てるもんだから、大分、インテレかぶれのところがあるな」

インテリをインテレと丸万が言ったのは、インテリのなまりではなく、その頃は一般にインテレとも言っていたのだ。

「intelligentsia」は外来語であるので、その外来語をどのような語形として(日本語の語彙体系内に)受け止めるかということがまずある。だから「インテレ」は「インテリ」が変化したものではないが、「インテリ」を一方に置くと、「インテレ」は「母音交替形」すなわち変異形にみえる。

うえさ【噂】〔名〕「うわさ(噂)」の変化した語。

うしろい【白粉】〔名〕「おしろい(白粉)」の変化した語。

うちゃすれる【打忘】 方言 〔動〕(「うちわすれる」の転)忘れる。

うっとら〔副〕(「と」を伴う場合が多い)「うっとり【一】」に同じ。

うらいましい【羨】〔形口〕[文] うらいまし〔形シク〕「うらやましい(羨)」の変化した語。

うるこ【鱗】〔名〕「うろこ(鱗)」の変化した語。

うるしい【嬉】〔形口〕六方詞。「うれしい(嬉)」の変化した語。

おがい【嗽】〔名〕「うがい(嗽)」の変化した語。

おしろ【後】〔名〕(「うしろ」の変化した語)

かいつばた【燕子花】〔名〕(1)「かきつばた(燕子花)(1)」に同じ。(以下略)

がいと【外套】〔名〕「がいとう(外套)」の変化した語。

かいべつ 方言 〔名〕植物、キャベツ。

かえら〔名〕「かえる(蛙)」に同じ。

それにしてもいろいろな変異形がある。書物を読んでいるだけでは、変異形にはなかなかであうことはないが、こうして辞書をよんでいると、かなりある(あった)ことがわかる。「カエラ・カエル」も活用みたいだ。そういえば、植物の「カエデ」は葉が蛙の手のようだから「カエルデ(蛙手)」だったが、それが「カエデ」に変化したものだった。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ //japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

筆者プロフィール

今野 真二 ( こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

編集部から

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
 本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。