日本語社会 のぞきキャラくり

補遺第83回 「キャラ(Kyara)」について(続々)

筆者:
2015年4月12日

まず,伊藤氏の「キャラ(Kyara)」と,これまで私が述べてきた「キャラ(クタ)」の異同を明らかにしておこう。

たとえば,この原稿を書いている2015年4月現在,テレビで放映されている家庭教師派遣会社「家庭教師のトライ」のCMでは,アニメ『アルプスの少女ハイジ』に登場していた重厚にして寡黙な老人「アルムおんじ」が,「トライは入会金が無料! Hey! Yo! おんじは感無量! この春だけトライは無料! チェッチェケ,チェケチェケチェ……」などと軽快なラップでトライの宣伝文句を口走り,少女ハイジを唖然とさせる。

また,バイク買い取り専門店「バイク王」のCMでは,謎の女・峰不二子の「最近バイク乗ってる?」という何とも日常的な問いかけに,世紀の大怪盗であるはずのルパン三世が「忙しくて乗れねぇんだよ」と頭をかいてボヤき,「車検も切れてるし」と車検切れを気にする。ニヒルな剣士だったはずの十三代目石川五ェ門は「バイク王に売ったでござる」と,バイクに乗っていたことを臆面もなくさらけ出す。しまいには,クールなガンマン・次元大介も敏腕警部・銭形幸一も一緒になって「バイクを売るならゴー,バイク王!」と宣伝ソングを歌う。

眠気覚ましのガム「Black Black」を宣伝するロッテのCMでは,マシーンのようにミスを犯さないはずのゴルゴ13が車を運転中にイビキをかいて白目で眠りかけ,このガムを口にして飛び起きている。

これらは全て,私の言う「キャラ(クタ)」が変わっている例である。つまり「本当は意図的に切り替え可能だが,切り替えてはならず,切り替えられないことになっているもの。その切り替えが露呈すると,それが何事であるかすぐ察しがつくが気まずいもの」が変わっており,それがあまり「気まずい」印象を与えないのは,これが現実世界に生きる我々のキャラ変わりではなく,アニメやマンガの登場人物のキャラ変わりに過ぎないからである。

しかしながら,こうしたキャラ変わりを我々がキャラ変わりと理解できる,たとえばアルムおんじのキャラ変わりを見て「アルムおんじのキャラ変わりだ」とわかるのは,アニメ『アルプスの少女ハイジ』に登場していた白髪の老人と,「家庭教師のトライ」のテレビCMに登場している白髪の老人が同一人物だとわかればこその話である。伊藤氏の言う「キャラ(Kyara)」が保たれているからこそ,我々は登場人物のキャラ変わりに気付くことができるということである。

このように,伊藤氏の「キャラ(Kyara)」と私が述べる「キャラ(クタ)」は同じものではない。マンガ論の中で伊藤氏によって生み出された「キャラ(Kyara)」という概念がたとえば登場人物のリアルさを論じる中で威力を発揮する,といったことは私にもよくわかる話である。だが,「あの人とキャラかぶってる」「実は学校と家でキャラが違う」「この集団では私はなぜか姉御キャラになってしまう」など,現実世界の我々が気にしてやまない「キャラ(クタ)」は,それとは別物である。両者の関連を検討してみる価値はあるだろうが,両者の同一視は議論を混乱させるばかりだろう。

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。