「福」というめでたい字は、中国はもちろん韓国からの年賀状でも、キーワードとして用いられている。韓国では、宝くじは「福券(복권)」と今でも言うし(日本では歴史的な用語となった)、不動産屋のことは「福徳房(복덕방)」と言っていた。それぞれ、ありがたそうだ。日本でも「福」は同様にめでたがられ、年賀状にも登場するし、福笑いは正月の古典的な遊びとなった(だいぶ日本的なお多福顔に見える)。「福」は、ベトナム語の年賀状にも、ローマ字で登場する。ベトナムでは、年号(元号)が行われていた。中国よりも時代としては短い期間であり、また中国の年号を用いた時もあったにもかかわらず、中国以上に「福」が多用された。阮福映(暎)など、皇帝の名にも「福」は愛用されていた。
「福」を上下倒して貼る風習は、ハノイでは中華料理の店でしか見かけない点も、日本と似ている。「倒」と「到」とで発音が似るところから「福到了」と掛けたものだ。これには中国らしい故事があるが、ともあれ縁起担ぎである。「諧音」という、漢字の字体よりも字音を重視した中国流の現象といえる。「形声文字」も漢字の90%を占めるとも言われるが、「諧声文字」とも呼ばれた。いろいろな本に書いてあるように、コウモリも「蝙蝠」の2字目が「福」と発音が一緒だとして珍重される。日本人は、コウモリだけでなく、その「福」がひっくり返っているさまを見れば、達磨さんが転んだを想起するとも限らないが、形状からマイナスの印象を抱くようだ。むしろ、漢字の古い造字法が身に染みついているのかもしれない。
日本人は、概して漢字という文字が好きで、個々の漢字に対する好みも各人にあったりする。好き嫌いは、効率性や合理性などの論理を時に超える感覚だ。中国からの女子留学生は、漢字をかわいいと思ったことがない、と語った。しかし、日本人は「苺」という字がかわいい、などと語ることをしばしば耳にする。かつては、好きな字は「愛」が一位で、「誠」が二位だ、などとアンケート結果が報道されたものだ。今でも「心」が一番となった、などと聞く。嫌いな字も、「嗤が個人的にイヤだ」、また、「姐の字がダメだ」などと語る人々がある。辛い思い出がよみがえるから、バランスが取りづらいからなど、理由は様々なのだが、精神に絡まった状況を生み出している。
ひらがな、カタカナやローマ字など表音文字には、そうした感情が浮かびにくいであろう。異質な文字体系を融合させて大きな文字体系をなしたことで、比較対象を得た日本の漢字は、特別な地位を獲得したのである。そのときに漢字は、個々に具体・抽象の意味をもつばかりか、個々人の感覚やニュアンスをも帯びやすい象形文字の風情を有し、それでいて幾何学性も兼ね備えた形態を呈する。そうしたことと結びついて生じる意識なのであろう。
訓読みを定着させなかったベトナム人ではあるが、ローマ字をやはり外から得たことで日本の状況に近い情感をもつことがあるのかもしれない。そして、そういう情緒性を周辺に感じ取れる文字があるとすると、やはりこの漢字ではなかろうか。
街の中では、大きい字をゆっくりと一筆ごとに書いている書道の出店を見かけた。老人が一字を書き上げている様子だった。書道作品を書く人が街にあることは、中国にも見られるそうだし、韓国でもカラフルにデザインして書き上げてくれる職人のような方がいるのだが、ベトナムや韓国では逆にいうと、漢字が専門家だけの文字となっている。その人に頼まないと筆字は書けない、という状況の裏返しのように思える。ベトナムでは書道は中国同様に技術としての性質を現すかの「書法(トゥーファップ)」、韓国では書道は芸術となっているようで「書藝(芸・ソエ)」と呼ばれている。日本の精神修養を兼ねたような「道」を含む「書道」ではない(元は中国に端を発した語だが)。
風景としての漢字は、雰囲気を作るという点では共通だが、日本では日常生活の中でも、ほぼ全員がそれを何となくでも読んだり理解したりしているのに対して、ベトナムでは一部の人が学芸の対象としてのみそれを読んでいる、という差が際立つのである。
ハノイの街の書道屋は、芸術品として、同時に縁起物として漢字を生み出す。文章よりも単字か熟語レベルが多い。儒教的、ときに仏教的なキーワードを筆で書き、あるいは工芸品、印刷物となって、額に入れて飾りたてまつる対象となっている。やはり個々人が書いて生み出すものではすでになく、プロや特定の人が担うものなのだ。中国や日本では、なお毛筆が義務教育で教えられており、日本では文具コーナーでも頼めば宛名などを筆で、とにかく書いてくれたりするものだ。ベトナムでは、おそらくそれは失われている。
「福・禄・寿」、好まれるのはおめでたい意味の漢字だ。「幸福」も見られる。韓国人が、現代のベトナム語を聞いて、発音が似ている、と驚いていた語である。