夜に開かれた講演会では、質問時間を設けることができた。箞木(うつぼぎ)小学校の出身という男性が手を挙げられた。60代くらいの方か、「竹冠に巻く」と書いていたとおっしゃる。「巻く」の形は「ハ」でしたか、下は「己」でしたか、などとうかがうも、やはり「まく」と書いていたのこと。そう、本来は気にしなくて良いはずのレベルのことなのだ。小学生だった時に、その土地の方から、「とてつもなく古い大きな木の意味だ」とお聞きになったそうだ。こういう伝承は面白い。
この字は、前(第193回)に述べたとおり、JIS漢字には誤写によって採用に至らなかった悲劇の字だった。昨今では、明朝と手書きとで混線が生じている。
頂いた校長先生の名刺では、筆字風の書体で、学校名は、
ハ氾の右
地名は小さい字で、
ソ己
と分かれていた。
また、頂いた1通の封筒の中では、明朝体で、地名は、
ソ己
学校名は、
ソ氾の右
と、合計3通りが規則性をもたずに共存していた。活字の大きさごとに、線の太さに限らず、字体まで異なるのは、かつては起こりがちなことだった。細部に神経質になって無理に統一を図る必要もなく、むしろこれでいいと思う。戦前の漢和辞典では、【 】内の見出し字と本文の字とで、字体が異なっているケースもあながち稀ではなかった。字は、説明できないので、仮名にとのことだった(前回)が、「竹冠に巻く」で何ら問題はないようだ。いわゆる康煕字典体で書く必要もなければ、常にはそう印刷する必要もないと考えられる。この字体のせいで、「竹を巻いたもの」という本来の字解がこの字を成り立たせていることさえも忘れられてしまっている現状をあちこちで思い知った。なお、この辺りでは、炭坑跡、住宅団地なども、その名を負っているそうだ。
ちょうど給食の時間に差し掛かってしまったため、余ったカレーライスをとのことで、校長室で恐縮しつつ頂く。ビニール製の容器が懐かしい。学生時代には、知らない民家で図々しくもお食事によばれたこともあった。好き嫌いなどなくしておいて良かった。おいしく頂く。
「うつぼ」の語源について、美術史がご専門の元教育長の方は、仏像や信仰から巨木信仰があったためではと推定された。ただ、その木は特定されず、神社にもそう古い木はないそうだ。ウツボという語は、3段階、ことによると5段階くらい、意味用法を変えていることになる。木の穴、それに形の似た武具、それに似た魚や植物、そして穴の開いた木が土地の呼称となり、漢字を得る際には武具の国訓を見つけ出して公式の地名になった、という過程がうかがえる。
翌日に図書館でお話を伺った古代語をお調べになった方は、百済のことばや朝鮮語などや地形によって、佐賀の地名の語源を説明してくださった。ただ、「ウツボギは難しい」、「キは「城」かもしれないが、分からない」とおっしゃる。字も、「竹」と「巻く」で、「読めない」。「空木」と書いた用例も見つかっているので、『厳木町史』もこの説を採っていたのでは、とのこと。さらに、「串」についても、朝鮮語との関連をお話し下さる。「串」という字の日中韓での歴史については、その後私もだいぶ調べてみたので、北京などで発表することになっている。
地名が発音され始めたときには、文字など意識されていなかった可能性が高い。その由来が文献や口碑に伝承されているとは限らない。「靫」は、かつては字体の似た「靭」「靱」と通じて用いられた。「箞」と通底しているような「タワム」という字義ははたして偶然だろうか。こうしたことへの追究にもロマンはあるだろう。
なお、「風箞」という文字列がネット上で話題となったことがある。しかし、風を描いたケータイの絵文字が、この漢字に化けたものにすぎず、ネット上では確かに用例が多い。
「麻生」はこの辺りでは、姓でわりと多いそうで、「あそう」、漢字の読み方の個性によって脚光を浴びた麻生太郎元総理も隣の福岡だった。関東でも、神奈川の川崎市にも麻生区がある。「あさお」だ。「生」が加わると固有名詞の読みはとたんに厄介となる。東京には「あざぶ」もある、「麻布十番」などというと、「えー」と驚かれた。簡単な漢字であっても、生活の中で身に染みこんで心に残っていて、パッと浮かんで出てくる読み方に地域差が生じうるのだ。