(その3から続く)
「脚注」に役立った見坊カード
飯間:『消えたことば辞典』では脚注が充実していて、とても勉強になりました。時代背景や、言葉が消された事情についても推測することができます。一つ一つの項目について、非常に深くお調べになっていますね。
見坊:今回、デジコレ(国会図書館デジタルコレクション)には本当にお世話になりました。おっしゃるように、個人向け送信サービスで閲覧できる資料が大幅に増えたのもありがたかったです。それから、全国紙のバックナンバーが検索できるオンラインサービスも、当時の時代背景や実際の例を知るのに重宝しました。そして、もちろん辞典類。たとえば、米川明彦先生の『日本俗語大辞典』は大いに参考にさせていただきました。
飯間:調査に膨大な時間をかけていることが、ひしひしと伝わってきます。お祖父さま(見坊豪紀先生)の資料も、こういうところで役立ったでしょう。
見坊:はい。『ことばのくずかご』などの著書のほか、祖父の採集した「見坊カード」も参考になりました。八王子にある三省堂の資料室でカードの現物を見せていただいたんです。それで初めて意味合いや文脈、あるいは出典がわかったということも多かったですね。
飯間:見坊カードの話は聞きたい読者も多いでしょうから、詳しく語っていただきましょう。どういう発見がありましたか。
見坊:一例を挙げれば「ほのほ」(p.198)です。カードを見て、ラジオの放送から採集した語形だとわかりました。
飯間:「炎」を旧仮名遣いそのままで発音した音声の例があったということですか。
見坊:そうです。「ほのほ」を表記通りに読んでいたんですね。また、「もぐずる」(p.215)は三遊亭圓生の落語に出てきた表現だとわかりました。
飯間:『三省堂国語辞典』第八版では「もぐずりこむ」の形で残しています。たしかに落語に多く出てきますね。
見坊:祖父は舞台や落語を見に行っては手元で一生懸命カードに用例を採集するという、怪しげな鑑賞法をしていました(笑)。速記ができたので、観劇しながらメモを取っていたようです。そういった音声的な資料はなかなか国会図書館でも探しにくい。本人が耳に聞いて残しているとわかった言葉は、脚注でもそのことに触れました。
飯間:「ほのほ」は、見坊さんの脚注に「音声での用例採集の成果」と書いてありますね。
見坊:そうなんです。「ほのお」の旧仮名遣いを辞書に載せたというわけではなく、「ほのほ」という音として言っている人がいたから載せたということですね。
飯間:興味深いです。見坊カードには、もちろん「何ラジオで何年何月何日放送」と、きちっと書いてあるでしょう。具体的な情報を教えていただけますか。
鬼気迫る用例採集の跡
見坊:「ほのほ」は3枚カードがあります。まず1枚目(写真右)はNHKラジオ第1の「新潟地震の教訓」(1964年6月18日)という番組で、「つぎつぎとホノホを上げて」と、走り書きしたような用例採集の跡があります。
飯間:録音してないから、走り書きなんですね。よく聞いてないとできない作業です。
見坊:2枚目(写真中央)がTBS……これはテレビなのかな。「東京オリンピックの陰の力」(1964年5月29日)で「中ではホノホになっていないわけです」と出ています。3枚目(写真左)もNHKラジオ第1で「焼き物と私」(1964年10月17日)の辻清明さんの発言。文脈は書いてないのですが、見出し語に「炎(ホノホ)」とあります。
飯間:最後のは、語形しか書き取る余裕がなかったのかもしれませんね。
見坊:3枚とも1964年に採集されています。時系列的には「東京オリンピックの陰の力」が最初です。おそらく、これで「ほのほ」が意識されたんですね。その後、新潟地震の番組や辻清明さんの番組で「あっ、またあった!」「またまた!」と採集を重ねて、項目として採用したのだと思います。見坊豪紀は「3例あれば辞書に載せてよい」ということをよく言っていましたが、「ほのほ」はその基準に適ったことになります。
飯間:手元には、戦後の現代仮名遣いの文章で「ホノホ」と書いている例もあるにはあるんですけど、これを実際にどう発音したかは音声資料に頼るしかない。貴重な用例です。
見坊:もともと語源的には「炎」というのは「火の穂」と書いて「ほのほ」ですよね。見坊カードの「ほのほ」は、先祖返りをした結果なのか、あるいは、「ほのほ」の形も残っていたのか……。
飯間:見坊カードのおかげで、研究課題が生まれました(笑)。ともあれ、「ほのほ」の例を聞いて、慌ててメモをするお祖父さまの姿が目に浮かぶようです。
見坊:よく気づいたと思うし、しかも手元ですぐメモできる環境になっていたのも驚きます。「東京オリンピックの陰の力」は22時45分開始の番組ですが、そんな遅くまで、おそらく別の仕事をしながら聞いていたんでしょう。そこで聞こえてきた音声に衝き動かされて採集したというのは、鬼気迫る感じがします。
新しい言葉は色がついて見える
飯間:そうした貴重な例に支えられた項目を辞書から削らなければならないんですから、まさしく苦渋の決断なんです。
見坊:現代に焦点を当てる『三省堂国語辞典』は、古いと分かったら、惜しみながらも削るということですよね。日本語全体をカバーしようとする『日本国語大辞典』などとは、そこが違う。
飯間:「大鉈を振るう」とも言っていますが、削るべきものは大胆に削ります。「そのために漱石や鷗外の小説が読めないじゃないか」っていうご意見もあって、恐縮するしかありません。ただ、「漱石や鷗外を読みたい方はぜひ『大辞林』をお買い求めください」とお伝えしたいです。
見坊:「古いと判断したら、ちゃんと捨てる」のが『三省堂国語辞典』ですよね。そのぶん、現代に必要な言葉を入れていく。その努力をむしろを賞賛すべきではないかという気がします。
飯間:「この項目は古い」と判断するのは、なかなか難しいんですよ。古い言葉が茶色や灰色に変色してくれればわかりやすいんですがね。一方で、新しい言葉はちゃんと色がついて見えるんですよ。自分が見たことのない言葉、知らない言葉というのは輝いて見えます。
見坊:新語は「あっ、新語だ」とすぐわかりますよね。
飯間:そうそう。だから、「辞書にこの新語を載せよう」と決めて、項目を立てるほうはわりあい簡単なんです。説明を書くのは難しいけれど。ところが、項目を削るほうは、「この言葉はもうあまり使われていない」と確証を得るまでが大変です。
見坊:「ない」ことを証明せよ、というのは「悪魔の証明」ですね。
飯間:項目を削るには、いくつか関門があります。まずは、その言葉がもうあまり使われていない、と気づくこと。そして、そのことを証明すること。少なくとも、この2段階をクリアしないと、一度辞書に載せた言葉はなかなか消せない。そういう難しさがあります。
見坊:辞書に載せるかどうかを判断するときも、「その言葉の存在に気がつく」ということが最初の条件ですね。見坊豪紀が最後に書いた『日本語の用例採集法』にもありました。
飯間:私の今の表現は、それをもじったんですよ(笑)。
見坊:道理で似てると思いました(笑)。
ルンバのごとく全項目を見る
見坊:つかぬことを伺いますが、「どの項目を削るか」を判断するにあたっては、約8万の見出し語を全部ご覧になるものなんですか?
飯間:そういう辞書編纂者もいらっしゃるでしょうね。ただ、私は性格的にそれができないんです。ア行・カ行あたりはいいとしても、最後のほうがおろそかになりそうです。たとえるなら、掃除機のルンバのように、あちこちランダムに辞書の中を掃除していきます。結果的には、おおむね全体を見ていると思います。
見坊:お堂を雑巾がけするように1行ずつ見ていくというよりは、ロボット掃除機みたいに縦横無尽に走りつつも、全体を十分にカバーするというイメージですね。
飯間:そうです。辞書の冒頭から順番に「感動詞の『ああ』は残そうか」「『愛』は残そうか」と見ていくのではなく、普段の用例採集などを通じて、削るべき項目をリストアップしていきます。「削る」と決断した項目の大半は、わりと印象深く覚えていますね。
見坊:項目を削る、という苦しい気持ちとともに記憶されるのでしょうね。
「あれ、こんな項目があるんだ」
飯間:ただ、この記憶がくせ者でしてね。「この項目は加えなければ」と思っていたのが、いつしか「この項目はもう加えた」になったり、「この項目は削らなくては」が「この項目はもう削った」になって、そのまま手つかず、ということもありました。
見坊:爆弾発言のような気もしますが、見坊豪紀も、「来られる」の「ら抜き」である「来れる」を、かつて自分で『明解国語辞典』改訂版に立てていたのに覚えていませんでした。後に『明解国語辞典』改訂版を見せられて「本当ですね。見出し語にしてますね」と驚いた、というエピソードが石山茂利夫さんの文章にあります(編集部注:読売新聞社会部『東京ことば』所収)。多くの項目を扱っていると、むべなるかな、という気はします。
飯間:お祖父さまのエピソードは非常によくわかります。『三省堂国語辞典』を読み返していて、「あれ、こんな項目があるんだ」と思って、誰が書いたのかと原稿を調べてみると、自分が書いていたりするんです。
見坊:私は『辞典語辞典』を稲川智樹さんと編集しましたが、自分で書いた「言海」の項目を忘れていました。YouTubeの「辞書部屋チャンネル」で稲川さんと話した時に、「言海」は稲川さんが書いてくれたと言ったら、実は自分の担当だったことを指摘されました。
飯間:『辞典語辞典』は国語辞典に関するもろもろをB級ネタまで含めてすべて収録してありますね。いのうえさきこさんのイラストもついていて、とても面白いです。
見坊:この辞典は700項目弱しかありません。自分の記憶力のなさは棚に上げて言いますが、この規模の辞典でもそういった記憶違いが起こるんですから、「項目を立てたか、立ててないか」で誤解が起こりやすいのはよく分かります。
飯間:だから十分確認をしなければ、という話なんですけどね。
飯間先生も助けられた見坊カード
飯間:見坊カードに話を戻しましょう。ラジオの音声を記録した見坊カードは、私もいくつか写真に撮っています。たとえば、「とんでもないです」「とんでもございません」。これは語形が揺れている言葉ですね。今の人は謙遜するときは「とんでもないです」を多く使うと思いますが、口頭ではいつ頃からよく言うのか、というのはなかなか調べにくいんです。
見坊:口頭で、という条件がつくと、困難を極めますね。小説や台本の台詞などは、口語のようでも、やはり本当の会話の言葉とは異なりますし。
飯間:ところが、お祖父さまは「とんでもない」について、本当にとんでもない枚数を記録しているんです。写真をお見せしますと、たとえば、NHK-FMで1980年に民謡歌手の原田直之さんが「いいえ、トンデモナイデス」と言っています(写真右)。テレビ朝日の『西部警察』からは「トンデモナイですよ。これは我々全員の仕事です」とうせりふが記録されています(写真中央)。
見坊:その(見坊カード)2枚は同じ日ですね!
飯間:そうですね。9月14日の午後2時に民謡番組で「とんでもないです」を聞いて、夜の8時に『西部警察』でまた「とんでもないです」を聞いている。
見坊:見坊が言っていた「ことばは同時に多発する」(『ことばの海をゆく』)という言葉そのままの例ですね。
飯間:少し飛んで、翌1981年のTBSテレビで、さだまさしさんが「いえいえ、トンデモナイデス」と言っています。これらのカードから「なるほど、『とんでもないです』は遅くとも1980年代には口頭で普通に聞かれたんだな」ということがわかります。とても助かるんです。
見坊:伺っていて、やっぱり見坊カードは誰もが使えるようにしないといけないと思いました。今回脚注を書くにあたって、既存のデータベースでは見つからないようなマイナーな言葉、目立たない日常語で、見坊豪紀自身の集めたものをたどってようやくニュアンスが摑めた、ということもありました。こういう点は、祖父のカードが非常に力強く助けてくれました。
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4回を予定した対談ですが、内容盛りだくさんの対談だったため、予定を超えて「その5」に続きます! 次回が最終回となります。最後までお読みいただけますと嬉しいです。「『明解国語辞典』刊行80周年記念キャンペーン」も間もなく5月31日(水)で終了です。ご応募、心よりお待ちしております!
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今回のオフレコ
飯間:見坊カードは宝の山ですが、三省堂の八王子の資料室でほこりをかぶっています。たまに訪れてカードを繰っていると、手が黒くなってくるんです。早急なデジタルデータ化が望ましいところですが、お金と人がなくてね。
見坊:デジタル化が実現できたら、いろいろな方面にとって、非常に有益な情報源になりますね。
飯間:本文のテキストデータ化は無理でも、せめて五十音の見出しだけでもつけられないかな。詳細は画像を見てもらう、ということでもいいんです。スタートアップ企業の方などが力を貸してくださらないでしょうか。ここはオフレコじゃなくて、オンレコでお願いしたいです。
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