人名用漢字の新字旧字

第95回 「釈」と「釋」

筆者:
2015年9月17日

新字の「釈」は常用漢字なので子供の名づけに使えるのですが、旧字の「釋」は子供の名づけに使えません。「釈」は出生届に書いてOKだけど、「釋」はダメ。どうしてこんなことになっているのでしょう。

旧字の「釋」は、頻用されるわりに画数の多い漢字で、江戸時代には、すでに簡略化された字体が流通していました。新字の「釈」は、音の「シャク」を同音の別字「尺」で表し、それに「釋」の左半分(釆)をくっつけた、いわゆる形声文字で、新井白石の『同文通考』にも収録されています。その意味で「釈」は、遅くとも宝暦年間には、ごく普通に使われていたと考えられます。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、「釈」を含む2528字が収録されていました。標準漢字表の「釈」の直後には、カッコ書きで「釋」が添えられていました。「釈(釋)」となっていたわけです。国語審議会は、旧字の「釋」ではなく、新字の「釈」を使うべきだ、と答申したのです。同様に「択(擇)」「沢(澤)」「訳(譯)」「駅(驛)」も、標準漢字表には含まれていました。ところが、昭和17年12月4日、文部省は標準漢字表を発表するにあたって、旧字の「釋」を収録し、新字の「釈」をカッコ書きで添える、という形に変更しました。「釋(釈)」としたのです。「擇(択)」「澤(沢)」「譯(訳)」「驛(駅)」も同様でした。日本文学報国会の標準漢字表反対キャンペーンにおびえた文部省は、新字の「釈」の採用を躊躇したのです。

文部省の弱腰に憤慨した国語審議会は、昭和21年11月5日に答申した当用漢字表において、ふたたび「釈(釋)」としました。この当用漢字表は、手書きのガリ版刷りだったのですが、新字の「釈」を採用し、旧字の「釋」はあくまでカッコ書きで直後に添える、という形を、再度、文部省に突き付けたのです。翌週11月16日に当用漢字表は内閣告示され、新字の「釈」は当用漢字になりました。旧字の「釋」はカッコ書きという形になりました。

昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には、新字の「釈」が収録されていましたので、「釈」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。しかし旧字の「釋」は、あくまでカッコ書きで当用漢字表に添えられたものでしたから、子供の名づけに使ってはいけない、ということになりました。それが現在も続いていて、新字の「釈」は子供の名づけに使えますが、旧字の「釋」は子どもの名づけに使えないのです。

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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