日本語社会 のぞきキャラくり

補遺第18回 きもち欠乏症について(続々)

筆者:
2012年9月30日

またしても紙面が尽きてしまったが、前回は「形容詞+コピュラ」という文型を取り上げて、「話し手のキャラクタが濃ければきもち欠乏症は発症しにくい」ということを述べたのであった。

「動詞+コピュラ」についても、似たことが観察できる。動詞の場合は「コピュラは続かない」と、かんたんに片付けられることが多いが、それでも「動詞+コピュラ」という文型の不自然さが、きもちの補給とキャラクタの濃さによって「治癒」されるということはやはりある。まず、「動詞+コピュラ「じゃ」「だ」「です」」を取り上げて、きもちの補給による効果を見てみよう。

コピュラ「じゃ」の場合。たとえば「行くじゃ」が不自然であるように、コピュラ「じゃ」は動詞には続かないと思える。だが、「行きますじゃ」のように動詞をマス形にして丁寧なきもちを補給してやれば、これは『老人』キャラのことばとして自然である。

コピュラ「だ」についてもほぼ同様である。たとえば「困るだ」はふつう不自然だが、『田舎者』が「そいつは困るだ」としゃべるのなら、だいぶ自然だろう。そして、「よ」を付けて「そいつは困るだよ」にしたり、動詞をマス形にして「そいつは困りますだ」にしたりしてきもちを補給すれば、自然さはなお高くなる。

コピュラ「です」も動詞に続かないわけではない。話し手のキャラクタ次第で「やるです」「帰ったです」などと言えるということは、すでに文学作品や映画監督・山本晋也氏という実例を挙げて述べたところである(本編第70回第71回)。ここで付け加えておきたいのはまず、動詞をマス形にして丁寧なきもちを出した、「~ますです」という言い方がかなり広く見られるということである。インターネットから実例(1)(2)(3)を挙げる。

(1)  みんなの「夢」を育てるお手伝いをしていきますですー

[//www.mayumaro.jp/profile,最終確認日: 2012年9月18日.]

(2)  お姉ちゃんが、新聞の使い方をまちがえていますです

[//woman.excite.co.jp/blog/animal/sid_1481911/,最終確認日: 2012年9月18日.]

(3)  ほんとにまさにいろいろ聴きますですよね。

[//theinterviews.jp/yeye/4359545,最終確認日: 2012年9月18日.]

これらに抵抗感のある話者も、相手に同意を迫るきもちをもう一盛り処方して「行きますでしょう?」などと、末尾を上昇調で言うことは問題ないだろう。

以上、きもちを補給することで「動詞+コピュラ「じゃ」「だ」「です」」の不自然さが軽減されることを見た。そして、ここで確認したいのは、「行クデス」「行くっす」「行くでしゅ」「行くなり」「行くであります」「行くでござる」「行くでおじゃる」「行くでごんす」「行くでありんす」等々、話し手のキャラクタが濃ければ、それらのキャラクタのしゃべるコピュラは、動詞に続いても特に不自然ではないということである。つまり、「動詞+コピュラ」のきもち欠乏症に対して、キャラクタの濃さは、きもちの補給と同様に治癒効果を持つ。

このことは、コピュラが複合する場合にも観察できる。すでに述べたように(本編第69回)、『老人』や『田舎者』のコピュラ「じゃ」「だ」は文末で「ます」に続くだけでなく、コピュラ「です」にも続く。つまり「ですじゃ」「ですだ」というコピュラの複合がある。コピュラの複合といっても、前部のコピュラ「です」と後部のコピュラ「じゃ」「だ」が同じように存在しているわけではない。そもそもコピュラ「です」が『老人』や『田舎者』の本来のことばではないように、前部は丁寧な「ヨソユキ」のことばである。つまり丁寧にしゃべろうと無理をしてがんばったけれども(「です」の部分)、最後に「地」が出た(「じゃ」「だ」)、という形になっている。

これらのコピュラの複合が動詞に続く場合にも、きもちの補給の効果が見られる。たとえば、いくら『老人』でも「行くですじゃ」とはあまり言いそうにないが、丁寧なきもちを出して「行きますですじゃ」にすればより自然になる。またたとえば、『田舎者』の「行くですだ」よりも、「よ」を付けた「行くですだよ」の方がより自然である。「行きますですじゃ」「行くですだよ」型の実例(4)(5)をそれぞれネットから挙げておく。(ややこしいので該当箇所に下線を付ける。)

(4)  殿のみなさま!長期めんてなんすのお知らせですじゃ。10/26(金)12時〜30(火)15時まで国盗りをはじめとする全ての機能が利用できませんですじゃご迷惑おかけいたしますですじゃ。詳しくは、ゲーム内のお知らせをご覧くださいなのですじゃ。

[//page.mixi.jp/view_page.pl?page=2&module_id=40854&page_id=7552,最終確認日: 2012年9月18日.]

(5)  「旦那!なんでおらに声をかけてくださらなかったのですだか!?おら、旦那に何かあったのではないかと心配で心配で……!生きた心地がしなかったですだよ!!」

[//www.geocities.co.jp/AnimeComic-Palette/3681/meri_huro_love.html,最終確認日: 2012年9月18日.]

 そうそう、コピュラの複合といえば、体言に続く「だったです」も取り上げないわけにはいかない。これは過去の「た」を介しているが、コピュラ「だ」とコピュラ「です」がつながったものである。体言に続くコピュラは安定しており、「雪だ」のようにいくらきもちが無くても「きもち欠乏症」は発症せず不自然にならないと前に述べたが(補遺第16回)、コピュラが複合すると話は別で、容態は予断を許さなくなる。たとえば「強引だったです」をすわりが悪い、不自然だと感じる話者は少なくない。いけませんなー、きもち欠乏症です、お大事に、というわけで「強引だったですか?」「強引だったでしょう?」「強引だったですよねー」などときもちを補給してやると自然になる。

そして、このような「体言+複合コピュラ」についても、きもちの補給と同様、キャラクタの濃さが、きもち欠乏症の症状を改善する効果を持つ。「強引ダッタデス」「強引だったっす」「強引だったでしゅ」など、特に不自然ではないだろう。

「辞の文」はきもち欠乏症を発症しやすいということ、きもち欠乏症を抑えるには、きもちの補給だけでなく、話し手のキャラクタの濃さも有効であるということは前回述べた。が、これは以上で見たように「体言・形容詞・動詞+コピュラ」の文型に幅広く見られる現象であって、「辞の文」といういかにも胡散臭いものだけに妙なことが生じているというわけではない。

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。