日本語社会 のぞきキャラくり

補遺第77回 「にん」について

筆者:
2015年1月18日

世間には私のものの他にも,さまざまな「キャラクター論」あるいは「キャラ論」がある。それらとの関係を考える上で,まず述べておきたいのが演劇である。

演じるのも人間なら,演じられるのも大抵は人間であるから,いずれの側においても人格・キャラクタ・スタイルすべての変化があり得るというのが本来である。だが多くの場合,こうした図式は単純化され,人格やキャラクタの変化は無いものとされる。

一つの劇の中のさまざまな場面に応じて,一人の登場人物の立ち居振る舞いに何らかの変化があるとすれば,それはその登場人物が場面に応じてスタイルを変えているのであって,その人物(つまり人格やキャラクタ)はその劇全体を通して変わらないというのが通り相場である。登場人物が別人と見まがうほど身も心も変わり果て,といった「劇的」な変化は,現実世界よりは頻繁に見られるかもしれないし,この場面とその場面で微妙に違っているということもあるが,それらは演劇全体から見れば例外的なものでしかない。

同じことが演じ手についても言える。一人の演じ手が或る芝居で荒くれ男を演じ,別の舞台で女形を務めたとしても,それは演じ手が演劇という枠組みの中で,それらの人物(つまり人格やキャラクタ)を演じ,さらに場面に応じてスタイルを変えたということであって,演じ手の人格やキャラクタの変化とは見なされない。演じ手には「こういう役を演じよう」という意図があるが,だからといって,これらの変化は演じ手のスタイルとも呼ばれない。すべては演劇という枠組みに吸収される。考えてみると演劇とは不思議なものである。

演劇の世界に,「にん」ということばがある。元々は歌舞伎で言われたことばらしいが,落語でも使われている。次の(1)に挙げるのはこれまでにも紹介してきた(本編第58回補遺第28回),『次の御用日』の一節で,奉行所で裁きが始まる場面である。

(1) 恐れ入りまして皆が,ぞろぞろぞろぞろ通ってまいりますというとー,砂利の上にお上のお情けとか申しましてー,茣間目(ごまめ)むしろという目の粗ーいむしろが敷いてございます。それへ一同が,着座をする。シーッ,警蹕(けいひつ)の声というのがかかりますというとー,皆さんもよく,あーテレビなんかでご存じやろうと思いますが,あの正面の,稲妻型の唐紙が左右へ,さっと開きます。ついと,お出ましんなりましたお奉行さん。ツ,ツ,ツ,ツ,ツ,ぴたりと,ご着座でございます。
わたいこういうことするとあんまり似合いませんが,あのー,うちの師匠がやると似合うのでございますよ,にん,にんがございますからな,うーん。でもそれらしい顔をしてやるのでございます。

[『枝雀落語大全第十八集』EMIミュージック・ジャパン,1983年収録]

演者の二代目桂枝雀が最後の部分で述べているのは,奉行という役柄が,自分の師匠である三代目桂米朝の重厚な「にん」には合っているが,自分のコミカルな「にん」にはあまり合わない,ということだろう。つまり「にん」とは,同じ落語家でも一人一人皆違っており,練習によって上達するようなものではない。漢字では「仁」と書かれることが多いが,上のCDに付いている「速記本」では「任」と記されている。速記は弟子の桂雀松(現・三代目桂文之助)と,弟子入りを志願したこともある放送作家の小松照昌氏によるとあるから,「任」の字もいい加減なものではないだろう。

それなら(1)のくだりは,桂枝雀が高座で,聴衆にはわからない業界用語をつい口にしてしまったのかというと,どうもそうではないようである。というのは,一般社会でも「にん」ということばが出てくることはあるからである。次の(2)に挙げるのは,これも度々紹介している(本編第79回補遺第70回),山本周五郎の『寝ぼけ署長』である。

(2) 「須川組へ手を付けるって」彼はふんと鼻を鳴らしました,「よせよせ,あんな寝(ね)ぼけ狸(だぬき)なんかになにが出来るものか,椅子(いす)を大事にのんびり昼寝でもするほうがにん(「にん」に傍点)相応だ,おけらが笑うよ」

[山本周五郎『寝ぼけ署長』新潮社,1970]

最後の「おけらが笑う」など,時代を感じさせるが,日常語として「にん」ということばを持っている話者は現代でも少しはいるだろう。

これらの「にん」は,内面だけでなく,顔つきや風貌などの外面も含んでおり,「人物」と言うこともできるだろう。ちょうど,私の言う「人格あるいはキャラクタ」に相当している。既に述べたように人間の外面は曖昧で,場面によって変わり得るものであるから(本編第13回),人間の外面を「キャラクタ」に含めることには何の問題もない。

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。