日本のマンガが今や広く世界で愛読されているのは周知の事実だが、ドイツでも1990年代半ばから翻訳が次々と刊行され、コミック市場を席巻している。もともとドイツ語圏で読まれるコミックといえば、フランスのAsterixやベルギーのTintin(ドイツではTim und Struppi)などのいわゆるバンド・デシネか、あるいはアメリカのMickey Mouseなどの翻訳が主流で、国産コミックで人気を博したものは多くない。挙げるとすれば、ユーモラスな探偵物Nick Knatterton(Manfred Schmidt作)やバイク乗りが主人公のWerner(Brösel作)あたりであろうか。このような土壌に、晴天の霹靂のごとく日本マンガが到来した。当初は、主にマニアがターゲットであったようだが、アニメ(Dragon BallやSailor Moon)との相乗効果もあり、マンガは瞬く間に若い世代の心を捉えた。
最近では、日本マンガを読んで育った世代の中から、オリジナルの「ドイツマンガ」を描く作家が登場している。オリジナルとはいえ、コミックではなくマンガであるから、本の体裁(右綴じで小型、白黒印刷)も、画やストーリーのスタイルも日本風だ。右綴じのため、文字の流れとコマの流れが逆になるが、すでに翻訳物で慣れている読者には問題ないらしい。形喩(血管・汗など)や効果線が多用されるほか、少女マンガの場合、背景を飾る花も欠かされない。多くの作家は発展途上と見られるが、何人かは力量を感じさせる作品を発表している。たとえば、Christina PlakaのYonen Buzzはパンクバンドのサクセスストーリーだが、なかなかサクセスしない重苦しさが読者を呪縛する(現在第4巻まで刊行)。また、韓国系ドイツ人のJudith ParkはY Square他コミックを数冊出しており、それらは典型的少女マンガで、奇想天外な展開と、まことに美しい画が魅力である。
これらドイツマンガは、読んで楽しいだけでなく、生きたドイツ語の教材としても活用できる。作家自身が二十代前半の若者で、登場人物も青少年が中心なので、若者言葉や口語がふんだんに使われているからである。以下に、ドイツマンガに出てくる表現をいくつか取り上げ、それらの独和辞典における記載を見てみよう。まず、古典的ともいえる若者語anmachenがマンガでも多用されているが、クラ独で引いてみると「(人4に)言い寄る」という訳語が与えられている。この語(語義)は、A社のX辞典にもB社のY辞典にも載っている。その類義語anbaggernもあるマンガで目にしたが、こちらはクラ独では「(人4に)強引に言い寄る」となっていて、よりインパクトの強い表現であることがわかる(ちなみにX・Y辞典には記載がない)。他に目立つ表現としては、so was von …に何度も遭遇したので、クラ独で調べてみると、wasの項の末尾近く(1588ページ)にSo was von Dummheit!「そんな馬鹿げたことが(を)」の用例が挙げられていた。マンガではもっぱらIch bin ja so was von dumm!「私は何て馬鹿なのかしら」のように、vonの後に形容詞を置くパターンで使われているので、これも辞書に反映するべきかも知れない(管見では他の独和・独独辞書にも未記載)。マンガに出てくる語や表現をすべて独和辞典に収録すべきとは考えないが、それらについての情報が乏しい辞書は、活きの良い辞書とは言えまい。その意味で、マンガは辞書の鮮度を測るバロメーターともなりうる。