漢字の現在

第260回 『方言漢字』その1

筆者:
2013年2月22日

漢字には地域差がある。中国と台湾とで簡体字と繁体字の違いがある、というのはすでに常識である。それらと日本とで、漢字の発音や意味、「廣」「广」「広」のように字体が異なることもよく知られている。漢字は、言語の地域差を超克する文字であると同時に、地域による違いの発生が避けがたい文字でもあった。現代の日本の中でも、よく観察をするとあらゆるレベルで、漢字には地域差が見いだせる。

方言文字と呼ばれ、戦後、断片的に報告されてきたものも、その中に含まれる。私も、集団文字の一種としてずっと気に掛けてきたもので、「地域文字」と名付けて、その奈良時代前後から始まる歴史と現代の実際を追いかけてきた。

今月、『方言漢字』(角川学芸文庫)という本を上梓することになった。この連載に記した小文のうち、各地を歩いて得た素材も、あれこれと盛り込ませていただいた(早くよりご快諾下さっていた三省堂に深く感謝申し上げます)。


漢字の地域差は、ほとんどが体系的なものではなく、個別的なものである。新たな文字体系を生み出すケースは、ローマ字やカタカナによる表記においてさえもなく、記号や字種を補うことでまかなわれてきた。もちろんそうして記号類にも地域差は見いだせる。

地域差は、まず要素自体の、

 字種
  字体
  字音
  字義

の各レベルに見いだすことができる。字義が要素に加わっている点が世界の文字の中でも漢字に特徴的である。この中で、東北の「橲」(じざ・ずさ 発音が揺れるのはズーズ-弁のため)、中部の「杁」(いり)、近畿の「椥」(なぎ)、九州の「椨」(たぶ)など、字種はもっとも目立つ。むろん木偏は一例に過ぎない。字体では、新潟の2字目の略字(第221回第222回第223回第224回参照)もよく話題に上る。

そしてそれぞれの使用について、各地域での使用の

 有無(存在)
  多少(頻度)

の差も看取できる。

そして、文字から見ればその機能、使用者から見れば運用法にも地域差は見つけられる。

 字形
  書体

は要素に属する面と、運用に属する面とを持つ。字訓も、要素に含めうる点がある。下記の表記は、文字や記号によって語を書き表すことであり、またそうして書き表されたものを指す。

 字訓
  熟字訓
  熟語
  表記

より広くは要素のもつコノテーションや、要素間に起こるコロケーションにも、そうした地域差を見いだすことが可能である。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』 『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。