今週のことわざ

黄粱(こうりょう)一炊(いっすい)の夢(ゆめ)

2008年4月14日

出典

沈中記(ちんちゅうき)

意味

栄枯盛衰も、ほんのひとときの夢のように、はかないものである。「黄粱(こうりょう)」は、きび。「一炊(いっすい)」は、米や粟(あわ)・きびなどを炊く時間を指す。きびが炊ける間に見た昼寝の夢、束(つか)の間(ま)の夢のこと。本文の引用は、『太平広記(たいへいこうき)』巻八二・呂翁(りょおう)に拠(よ)った。『沈中記(ちんちゅうき)』の本文はテキストによって文字の異同が多い。

原文

盧生欠伸而寤。見方偃於邸中、顧呂翁在傍。主人蒸黄粱尚未熟。触類如故。蹶然而興曰、豈其夢寐耶。翁笑謂曰、人世之事亦猶是。生然之。良久謝曰、夫寵辱之数、得喪之理、生死之情、尽知之矣。此先生所以窒吾欲也、敢不教。再拝而去。〔盧生(ろせい)欠伸(けんしん)して寤(さ)む。見れば方(まさ)に邸中(ていちゅう)に偃(ふ)し、顧みれば呂翁(りょおう)傍らに在り。主人黄粱(こうりょう)を蒸して尚(な)お未(いま)だ熟せず。触類(しょくるい)(もと)の如(ごと)し。蹶然(けつぜん)として興(お)きて曰(いわ)く、豈(あ)にそれ夢寐(むび)なるか、と。翁笑いて謂(い)いて曰く、人世の事も亦(ま)た猶(な)お是(か)くのごとし、と。生、これを然(しか)りとす。良(やや)久しくして謝して曰く、夫(か)の寵辱(ちょうじょく)の数(すう)、得喪(とくそう)の理、生死の情、尽(ことごと)くこれを知れり。これ先生の吾(わ)が欲を塞(ふさ)ぐ所以(ゆえん)なり、敢(あえ)て教えをうけざらんや、と。再拝して去る。〕

訳文

(唐(とう)の徳宗(とくそう)《在位、七七九~八〇五》のころ、山東(さんとう)の盧生(ろせい)という青年が、邯鄲(かんたん)の近くの旅館で、呂翁(りょおう)という道士に会った。盧生は呂翁に貧しい今の境遇を嘆き、出世の望みのないことを訴えた。そうしているうちに盧生は眠くなった。呂翁は彼に枕(まくら)を貸してやった。すると、夢で盧生は、とんとん拍子に出世し高官になっていた。役人になってからはいろいろな曲折を経たが、五十余年ののち宰相となり子孫も繁栄した。やがて天寿が尽きて永眠した。)ふと、あくびをすると目が覚めた。見れば旅館の店先に寝ていて、傍らには呂翁がいることに気がついた。旅館の主人は盧生が寝る前に黄粱(きび)を炊いていたが、まだ炊き上がっていなかった。目に映るものすべてもとのままであった。盧生は飛び起きて、「なんと夢だったのか。」と言った。すると、呂翁は笑って、「人の世のことというのはこんなものですよ。」と言った。盧生は全くそうだと思った、そして、「芽が出たり出なかったりすることの道筋も、栄えたり滅んだりすることのことわりも、生きていたり死んだりするときの心も、みなよくわかりました。これもすべて先生が私の欲を制御しようとお考えになってのことでしょう。これからも決してこのことは忘れません。」と礼を言い、挨拶(あいさつ)して立ち去った。

類句

◆一炊(いっすい)の夢(ゆめ)◇邯鄲(かんたん)の枕(まくら)◆邯鄲(かんたん)の夢(ゆめ)◇邯鄲(かんたん)(ゆめ)の枕(まくら)◇黄粱(こうりょう)一炊(いっすい)◇黄粱(こうりょう)の夢(ゆめ)◇盧生(ろせい)の夢(ゆめ)

筆者プロフィール

三省堂辞書編集部