サイバン語と日常語の間―法廷用語言い換えコトハジメ

「反抗の抑圧」の「反抗」は、被害者の抵抗?

2008年5月18日

前回でふれた市民講座のディクテーション(書き取り)で、「未必の故意」の次に問題になった法廷用語に、「反抗の抑圧」がある。「ハンコーノヨクアツ」と聞いて、参加者は、「犯行の抑圧」と書き、「反抗の抑圧」と書けた人は一人もいなかった。日本語には同音異義語が多いが、「ハンコー」もその一つ。よく使われる「反抗」「犯行」「反攻」から、歴史的な場面で出てくる「藩校」「藩侯」「半髪」、出版関係の「版行」「頒行」、字を見たら意味がわかるがあまり使われない「反航」といろいろある。

裁判員制度に関する市民講座だったので、参加者は、「裁判」という図式を頭に入れて、多くの「ハンコー」という語から裁判に関連のある「犯行」に絞ったようだ。参加者が描いていた「犯行の抑圧」のイメージは、「犯人の犯罪行為を抑えつけた」程度のことであろうか。

『やさしく読み解く裁判員のための法廷用語ハンドブック』では、「暴行や脅迫によって、肉体的あるいは精神的に、抵抗できない状態にすること。被害者が抵抗したけれども、最終的には抵抗を封じられた場合も含む」と解説している。さらに、「「反抗」とは被害者が抵抗することで、「抑圧」とは加害者がその抵抗をおさえることを指します」との説明も加えている。

日弁連の「法廷用語の日常語化に関するプロジェクト」の会議で、言語関係の外部学識委員は、「反抗の抑圧」の用語について、「一体誰が何をしたのだろうか」と混乱してしまった。なぜならば、「反抗」には、「従うべきものとされてきたものに逆らう」というマイナスのイメージがあるので、被害者が加害者に襲われて抵抗することが、なぜ、「従うべきことに逆らう」ことになるのか。一方、「抑圧」には、「自由の抑圧」や「市民の抑圧」のように、「本来認めるべきものを抑え込む」というイメージがあるので、「やってはいけないこと」(反抗)と「本来認めるべきものを抑え込む」(抑圧)とは、日常語の感覚では、くっつけて一つの表現にできない。

そこで、「反抗の抑圧」を市民感覚で理解しやすい「抵抗を抑え込むこと」に言い換えたらよいのではないかという意見が、言語関係の委員から出された。刑事法の委員や弁護士委員によると、「反抗の抑圧」には、「被害者の抵抗を無理やり抑えつける場合」だけではなく、「被害者がこわくて抵抗しようという気がおきず、結果として抵抗行動がなかった場合」も含まれるので、日常語の「抵抗を抑え込む」だけでは不十分な言い換えになるとのことであった。

このように、37回開かれた会議では市民の発想と法律家の発想が交錯し、裁判員の参加する裁判さながらの「法廷用語の日常語化に関するプロジェクト」であった。

 

筆者プロフィール

大河原 眞美 ( おおかわら・まみ)

高崎経済大学教授・地域政策学部長。シドニー大学法言語学博士。日弁連裁判員制度実施本部法廷用語の日常語化に関するプロジェクトチーム外部学識委員。わかりやすい司法プロジェクト座長。家事調停委員。現代のアメリカで18世紀の生活様式を堅持しているアーミッシュが、ドイツ語と英語を併用しているという言語使用の実態に関心をもち、社会言語学の研究を始めているうちに、現地でアーミッシュの馬車等の訴訟を目のあたりにすることになった。これが契機となり、裁判に関心を持つようになり、今では、裁判も面白いが、裁判で使われる言葉はもっと面白いと、法言語学の観点から研究を行っている。

編集部から

来年から始まる裁判員制度。重大な刑事裁判に一般市民が裁判員として参加し、判決を下す制度です(⇒「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」)。
もし突然裁判員になったら……さまざまな不安が想像されます。自分以外にもっとふさわしい人がいるじゃないか、とは言っていられません。
不安な要素の一つとして、法廷で使われることばがわからなかったら、裁判の内容がわからなかったり、正しい判断ができないのではないか、ということが挙げられると思います。
日本弁護士連合会では「法廷用語の日常語化に関するプロジェクト」を発足、「これまで法律家だけが使ってきたことば、法廷でしか使われないことばを見直し、市民のみなさんが安心して参加できる法廷を作ろう」と、検討が重ねられてきました。
その報告書とともに、法律家向けに『裁判員時代の法廷用語』、一般の方向けに『やさしく読み解く裁判員のための法廷用語ハンドブック』の2冊が刊行されました。
ぜひこれを皆さまにご紹介したいと思い、このたびプロジェクトチームの方々からご寄稿いただいております。次回は法学の専門家からです。