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漢字の現在:懐かしい字を掘り起こす

2009年 7月 23日 木曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第43回 懐かしい字を掘り起こす


【左馬の入ったナンバープレート】
山形県天童市のウェブサイトから)

 不可思議な「字」に関する想い出が確かに残っていた。それは、前回引いた「新聞切り抜きデータベース」にも収められていなかった記事についての記憶である。

 年月さえもあやふやなそれは、「馬」という漢字を左右逆に記す縁起物「左馬(ひだりうま)」についての記載であった。紙を回転させて字画を書き上げるという、異例な筆順がとくに印象に刻まれ、その後もずっとどこかで気になっていた。

 それを目にしたのがいつのことだったのか、また何新聞であったのかも明確でない。大学や地元の図書館で、各種新聞の縮刷版を手に取り、殺伐とした文言ばかりが目立つ記事の山の中に迷い、またその書架の前に何度か立ちつくす。新聞各社に問い合わせても、小さな記事であるためか、手作業で探すしかないようで、見付からないとの返事ばかりである。

 漢字に関する実状を記述していらした国語学の先生方にも、無謀にも恐る恐る質問の手紙を出してはみたが、残念ながらその実物との逢着は叶わなかった(私淑する先生が他界される前に手書きして下さったお葉書に、記憶はあるといったお返事を頂けたことはこの上ない幸いではあった)。ある新聞社で外字を作り続けたという記事を見つけ、その方にもお便りを出してはみたが、数年前に鬼籍に入られたとのことであった。縁起の良いというその左馬の記事に、二度と手が届かないということは、ことに心残りだった。

 ただ、なかなか見付からないお陰で、探す過程において別の用例に大いに恵まれた。こういう副産物は常に付いてきてくれる。WEBが普及し、「左馬」などの語を頼りにあれこれ検索していたら、あの「2ちゃんねる」で、その書き順らしきものが書き込まれていたものに行き着いたこともあった。

 先日、勤め先の大学で、「読売新聞」のデータベース「ヨミダス歴史館」(明治・大正・昭和)のフリートライアルが始まった。それまでは、100万円近い金額で、「明治の読売新聞」というCD-ROM/DVDが出た、車も乗らないので買ったという方の話を聞いて、少しだけ迷ったものだが待った甲斐があった。

 そこで、真っ先にだったか、いやもったいぶって後回しにしてだったか、「左馬」を検索してみたところ、ついにその記事がヒットした。おぼろげな記憶の正体は、1979年の記事、まだ13歳の当時に見ていた紙面であった。今をさかのぼること一世代、まだ中学生のころに、すでに漢字に面白みを見出す妙な性質をもってはいた。

 しかし、そのころは、「これは面白いが漢字ではない、遊びのようなものだ」と判断したようにうっすらと覚えている。中学生特有の、根拠が乏しいのとうらはらな厳格な意識がそうさせたのかもしれない。まだ、メモ帳も記していなかった頃だが、よほどこれはと思ったものならば、切り抜いたりノートに写したりしていたかと思う。しかし、「左馬」は、それに値しないことだとその場で判断した結果、30年以上も引きずってしまったのであった。

 かつては夢想に過ぎなかった、こうした過去の資料探しが机上で楽にできる。そういう意味では、良い時代になってきたと思う。海の中で落とした針を探し出すがごとき作業が、だいぶ簡単に、時にあっけなくできるようになったことには間違いない。

 安易に流れるのは人の常だが、それでもやはり検索では見つからないものもある。「正しい文字」かどうかという根拠の薄い規範意識やら、「当たり前」ともみなせるといった感情のたぐいから、蛮勇を奮って捨ててきた情報はまだまだあった。微かに記憶に残るばかりの失われた文字との懐かしい再会は、あといくつできるのだろうか。

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【筆者プロフィール】

『国字の位相と展開』笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
 早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞

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【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「珍しい字との再会方法」でした。

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2009年 7月 23日