日本語社会 のぞきキャラくり

第61回 キャラクタの「格」4類(上)

筆者:
2009年10月18日

キャラクタの「品」と「格」の違いを具体例で示したが(第60回)、格について、なお言いたいことがある。それは、ことばを発するキャラクタの格は、とりあえず4類に大別するとかなりスッキリするということである。(今回はそのうち3つを紹介する。) 前回述べた「感動詞」や「終助詞」の観点だけでなく、「間投助詞」そして「ことばのスタイル」の観点も含めて、このことを示してみよう。

まず『特上』について。おごそかな『神』キャラのように、格が非常に高いキャラクタは、丁寧なスタイルではしゃべらず、ぞんざいなスタイルでしかしゃべらないのが原則である。『神』は「それでよい」などとおごそかに告げるから有難いのであって、『神』が「それでいいです」と言ったらもはや『神』ではないというのはこの原則の一例である。もっとも、『神』は『神』でも『女神』なら「あなたはそれでいいのですよ」のように言えるから、原則はあくまで「原則」に過ぎないが、実はその『女神』は『神』(男神)よりおごそかでなく格が低いのだ、あまり『神』らしくないのだと言ったら読者は驚くか。このあたりは、少し後で述べるキャラクタの「性」の問題なので、ここで詳しくは触れないが、この『女神』が、『(男)神』なら発することのない終助詞「よ」を発しており、それだけ人間くさい位置にあるということぐらいは、いまの段階で指摘しておいてもよいだろう。

『神』よりぐっと低いところに目を移すと『人間』の領域が見えてくる。「それでだな、私がだな」のように、文節末で間投助詞「な」「ね」などを発することができるのも、「行ったよ」「イヤだわ」のように広範な終助詞を自由に発することができるのも、『神』にはない『人間』の特性である。(『神』と『人間』の間には、ゴルゴ13のように、『神』ほどではないが、多くの終助詞・感動詞・間投助詞を発さず感情を出さない、まさに『超人』的なキャラクタが観察できる。ことばを発するキャラクタの格を「とりあえず」4類に大別、と上で述べたのはこうした事情による。)

この『人間』の中で格が高いのが『目上』であり、さらにその下には『目下』がある。したがって、ここで言う『目上』は『特上』を含まない。『神』キャラは『目上』ではない。

あの人は得意先だから、自分はあの人に対しては『目下』として振る舞う。頭を下げて「例の件、どうかよろしくお願いいたします」と言う。だが、こいつは部下だから、自分はこいつには『目上』として振る舞う。肩を叩いて「例の件、君もよろしくな」と言う――こういう『目上』『目下』は「スタイル」変化の範囲におさまる(第4回)。だが、『目上』『目下』がいつもそうなるわけではないのだった。相手に対していったん揉み手をして媚びへつらい、阿諛追従を重ねて『目下』として振る舞ったら、状況が変わっても相手は自分をなかなか『目上』とは認めてくれないのだった(第49回第50回)。また、相手に対していったん『目上』として振る舞ってしまえば、状況が変わっても『目下』に降りるわけにはいかないということがあるのだった(第51回第52回)。こういう『目上』『目下』はすべてキャラクタとしての『目上』『目下』であり、今述べているのはまさにこれにあたる。

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。