漢字の現在

第181回 韓国での日本語と漢字

筆者:
2012年5月1日

金浦空港では、土産品やメニューに、日本語が多数見られた。若年層を見ていると、韓国の人たちは日本語の習得が概して早い。それは、文法的、語彙的な近似性によるところが大きい。

 대구탕 たら鍋 鳕汤鱼

このハングル(daegutang)は「大口湯」が相当する。「湯」がスープを意味するのは中韓で共通している。日本の国字「鱈」(たら)が本国のことばではこうしてひらがな表記となり、むしろ中国に移動した感が確かにある。

 にくるい

 しょくじるい

看板でのこれらの漢語の仮名表記は、日本では極めて珍しい。日本語が何かと身近なだけに、不用意な表記もまた散見されるのである。ここでは隣に記された「肉类」が補助情報を与えてくれる。

よくありがちな仮名の使用に間違いが頻発している看板に、漢字の誤変換のようなものも多数あった。

 漁卵スープ

このように惜しい誤字が思いのほか目立つ。

 冷面 ネンミョン

中国の簡体字を日本語としても使ってしまっている。この場合、カタカナがあまり意味をなしていない。「冷麺」だ。

 肋眼

 牛骨とウゴジの煮るスープ

これらは、何だか分からない。さらに、

 牛の舌

 豚の生首肉ロース

と、一見、不気味そうな文字が並び、注文するにはつらそうだ。仕方ない、帰りも機内食に賭けよう(結果は、行きとほぼ同じメニューだった)。空港内では薬屋も店を開いていた。

「膳物」

(クリックで全体表示)

【「膳物」は韓国語でプレゼントの意。中国人にも通じまい。なお、芸能界で活躍するソニンは成膳任とのこと。】

 藥

ハングルと併用されていた。街中では、ハングルのみの方が多かった。日本では「ヤク」というと薬物、カタカナでリスクを逆に並べたとされることもあるクスリを指す隠語となっている。

 膳物用

この「膳物」は、韓国語でプレゼントの意だ。漢字で書いても、日本人はもちろん、中国人にも通じない。店の外には、「”力”」の1字がハングルによる文の中に用いられている。これも今回気になった単漢字使用の一例だ。

その店の中には、

 「贈り物コーナー」

 「高血壓」(3字目は「圧」の旧字体)

などの字を打った紙が貼ってある。勝手に想像すると、きっとすごい精力剤なども置いてあるのかもしれない。どことなく怪しげな店に惹かれてしまうのだが、25年前に、最初に韓国に訪れたときにはまだ学生だったせいか恐い印象の店がたくさんあった。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』 『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。