日本語社会 のぞきキャラくり

補遺第22回 13年式G型トラクターについて

筆者:
2012年11月25日

理想的な書きことばとは、どのような書き手像(発話キャラクタ)も特に浮かばない非・役割語なのだろうか?――と、問いを投げかけたところで前回は紙面が尽きた。だが、この問いに対する私の答は、とうに決まっている。

なにしろ私は「すべてのことばは役割語で、程度の差はあれ、何らかの発話キャラクタが想定できる」と、本編で繰り返し述べてきた身である。どのような書き手像も特に浮かばない「非・役割語」なんて、そう簡単に認めてたまるものか。

というのはこちらの肚の内に過ぎないが、実際、書かれた文字と書き手像のつながりは、「字は体を表す」という形で世間一般に広く認められており、本編(第39回)でも「キャラクタは文字に宿る」というタイトルで山本周五郎氏の小説『さぶ』の一節を取り上げてすでに述べたところである。

手書きの文字だけではない。ヘタクソな「ダメ字」のフォントがわざわざ開発され、「なごみキャラ」をかもし出すのに用いられているように、活字にしても発話キャラクタとのつながりは否定できない。あずまきよひこ氏のマンガ『よつばと!』第4巻(アスキー・メディアワークス,2005年)では、主人公・小岩井よつばの叫び声だけがゴカールという、曲線が特徴的なフォントで記され、他の登場人物の叫びのフォント(ゴナ)とは区別されているという。(詳細は金田純平2011「文字表現の音声学」(定延利之(編)『私たちの日本語』(朝倉書店)所収)を参照されたい。)

それならば上記の問いはすでに解決済みではないか、その問いをなぜ持ち出してきたかといえば、話しことばと書きことばに話が及んだのを機に、これまで触れられなかった「解釈者」について述べておきたいからである。

ことばがわずかに違うだけで、そのことばを発するキャラクタも違ってくる、だからすべてのことばは役割語だというのは、一語一語をじっくり検討してかかればこその話である。現実には、すべての解釈者が一語一語をじっくり検討し、すべてのことばの細部にまで敏感というわけではない。ムクツケキ『男』とたおやかな『女』のことばの違いに全く気づかない、ヨボヨボの『老人』とヨチヨチの『幼児』のことばの違いなど何も感じないという解釈者はさすがにいない(したがって『男』『女』『老人』『幼児』といった大まかなレベルの役割語は認めてよい)だろうが、役割語をどこまで細かく認めていけるかは、解釈者の感受性を措いて論じることはできない。

マンガ『ゴルゴ13』で、子供たちに向かってゴルゴ13が「聞くがな、坊やたち」と言う場面を例にとれば(第38巻第136話「タラントゥーラ」)、あのハードボイルドなゴルゴ13が「坊やたち」なんて、とショックを受ける読者がいる。かと思えば、特に何も感じないという読者もいる。このように「すべてのことばは役割語だ」という考えには、実際には「解釈者次第」という但し書きが付き、その感受性によっては、役割語の領域は或る程度縮小しかねない。(これは役割語にかぎった話ではなく、文法性や多義性の判断にも同じことが言える。)

かく言う私もさまざまな鈍感さの中で暮らしている。『ゴッド・ファーザー』を観ても『ダイ・ハード』を観ても私が今一つ乗り切れないのは、幼少期に観たアニメ『悟空の大冒険』のせいで、「ふーん、あの弱っちい三蔵法師がねぇ」と感じてしまうからである。それは声優・野沢那智氏のせっかくの演じ分けに、私が鈍感だということである。

そう言えば以前、ルパン三世の相棒を務めるクールなガンマン・次元大介が「奥様、お肉が安い」と言うものだから仰天してテレビを観たらスーパーのCMだった。「奥様、お肉が安い」はないだろう、次元よ、仕事を選んでくれなどと私が思ってしまうのは、小林清志氏の演じ分けにも私が鈍感で、氏のどんな声を聴いても「次元だ」と感じてしまうからである。

しかし、これが声優の交代というレベルになると、私だけでなく多くの人が鈍感ではいられないようで、「峰不二子の声は『若い女』キャラなら誰でもいい」なんてことにはまずならない。その一方で「小岩井よつばの叫び声はやはりゴカールでなければ」といった「フォント談義」は聞かない。どうも我々の感受性は、話しことばよりも書きことばにおいて鈍化しがちなのではないか。解釈者の話をここで取り上げたのは、そういうわけである。

なに? おまえは前回、「話しことばと書きことばの違いは、単なるメディア(音声・文字)の違いではない」としておきながら、今回「理想的な書きことばは非・役割語か?」という問いを論じるにあたって「文字言語は非・役割語か?(いや、そんなことはない)」という話しかしておらず、結局のところ「書きことば」と文字言語、そして「話しことば」と音声言語を同一視してしまっているではないかって? 「理想的な書きことば」として取り上げられるべきは、メディアがどうこういうよりも、とにかく匿名性が高いことばではないのかって?

なるほど、そうかもしれない。だが、私が解釈者を持ち出したのは、そのような匿名性の高いことばについて論じるためでもある。

2012年11月7日、毎日新聞夕刊(関東・中部版)に「13年式G型トラクター買いたし 至急の商談求む。但し中東への輸出仕様。委細は面談の上にて。連絡乞う。一ツ橋インターナショナル商会 担当/竹橋」という広告が載った。その内容と文面から、竹橋なる人物は『格の高い年輩』の中東関係者と察しはつくが、それ以上はわからない。書き手のキャラクタは茫漠として匿名性が高く、この広告文句は役割語らしくない――かどうかは、新聞に目を通す解釈者次第である。解釈者によっては、「ゴ、ゴルゴ13への仕事の依頼だ! この時点で仕事場を「中東」と明かしたり、「委細は面談の上」「連絡乞う」など当たり前のことを連ねたり、多少饒舌な奴ではないか……」と、より具体的な書き手像が結ばれる。「解釈者次第」という事情は、発話キャラクタと役割語を或る程度ぼやけさせることも多いが、このように逆に鮮明化させることもある。

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。