漢字の現在

第256回 仮名・ローマ字などの位相

筆者:
2013年2月5日

中学生たちに、「がんばってネ」と表記することがあるかと尋ねてみると、キョトンとしている。「8時だョ!全員集合」みたいに、文末をカタカタにしていると言うと、この世代でも大きく「あー」と納得してくれた。この文末の助詞のカタカナ表記は、意外なことに大学生世代には概して評判が悪い。お母さんが書いたせっかくの置き手紙を見て、「昭和時代」の表記だ、やはり「昭和人間」だ、無理して若ぶっているなどと反感を抱くのは、不幸なことだ。よく伝わるようにと親世代が身に付けたカジュアルな表記が、誤解やディスコミュニケーションをもたらしてしまう。誰も望んでいない悲劇である。

文字面には、かえって新たな女子らしさが強く表れることも起きた。「がんばってne」は女子中学生あたりにピークを持つ。そして、ロシア文字の形を借りて「がんばってиё」とギャル文字のようになっていた。一方で、言語表現の性差が「・・・だわ」「・・・よね」などの文末表現から消えつつあることもよく指摘される。女学生の下品な言葉遣いからお嬢さまことばまで浮き沈みを経て、女子の話しことばからも消えつつあり、テレビなどで聞かれる「オネエことば」やアニメの令嬢の口調へと変質しつつあるともみられる。

敬称の「ちゃん」を「(○の中にc)(○の中にc)」と書く、これには「あー」と思い出したような女子の声がする。「ちゃん」とは知らない男子は、女子は名前に何で著作権を主張しているのかと「コピーライト」の記号と勘違いすることがある、とここでも言うと、うんとうなずくのはやはり男子だ。


「○○さんへ」と書く時の助詞の「へ」を「(へノノ)」と書くものについて、「見下す意味がある」と男子が語る。使ったのは小学校の時まで、とのことだ。宛名の人にいなくなってほしいという意味を込めているという物騒な話さえ聞いたことがあるが、こういう噂は今でも広まっているのだ。辞書の語釈にも、「憎い」に「できるなら抹殺したいくらいだ」とあったりする。「(へノノノノノノノノノノ)」が届いたことを思い起こした男子学生の話を紹介すると大笑いになった。無論、文字でのいじめも良くないともっていく。好意の裏返しだったのかもしれない。

顔文字も、「顔+文字」というくらいで、絵文字のような読みを伴うことはさすがに稀だが、字数も費やし、文字列中で文字のように振る舞うようになって久しい。

 (・ω・)

ギリシャ文字のΩ(オメガ)は、大きいオであり、富山県の「お」を思い起こさせる。「Ο・ο」(オミクロン)の対である。このΩの小文字ωは、ここではいったい何をかたどっているのか。

 アヒル口

かわいい、しかし男子が違うという。猫や犬、ハムスター、アザラシなどのマズル(鼻と口の部分)を指すという指摘も出る。ヒゲも描いてみると、確かにそのようだ。しかし、大学の文学部では、2ちゃんねるに詳しいという男子がもとは違っていたと指摘してきたことがあった。もともとアスキーアートで、この「ω」の部分は人の鼻だったと言うのだ。だいぶ印象が変わってくる。

具体物をやや抽象化したのが絵文字だが、イメージの激変に耐えきれない生徒たちが驚く。その大学では、その鼻起源説を紹介すると別の男子が、自分はもっとその道に詳しいと言って、おおもとのアスキーアートでは、顎、外国人男性の少し割れた顎だったと述べた。さらにもっと変な解釈も出てくるのだが、もうイメージは攪乱され、大混乱となる。史実はたかだか10年余りの中にあるのだろうが、要は、使い手と読み手が限られている場合、どう意識して使って、受け止められているかで十分なのだ。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』 『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。