タイプライターに魅せられた女たち・第92回

メアリー・オール(1)

筆者:
2013年8月1日

オール女史(Mary E. Orr)は、1866年8月20日、ニューヨーク州マジソン郡ブルックフィールドに生まれました。父親の死後、家族とともにニューヨークに移り住んだオール女史は、最初は教師の道を志したものの、16歳でタイピストへと転向しました。ちょうど、ウィックオフ・シーマンズ&ベネディクト社が「Remington Standard Type-Writer No.2」を発表した時期で、オール女史も、このタイプライターでタイピング技術を習得しました。両手の人差指だけを使う、いわゆる二本指タイピストだったにもかかわらず、オール女史はメキメキとタイピングの腕を上げました。最初の頃は週6ドルだった稼ぎも、週10ドル、そして週15ドルと、どんどん増えていきました。

18歳になったオール女史は、ブロードウェイ237番地に、スチュワート女史(Jessie L. Stewart)と二人で共同事務所を開設しました。「Stewart & Orr」と名付けられた共同事務所は、かなり繁盛していたのですが、オール女史はそれでも飽き足らず、さらに1887年には、ブロードウェイ120番地のエクイタブル生命ビルに、独立事務所を構えました。

エクイタブル生命ビル(1889年頃)

エクイタブル生命ビル(1889年頃)

この頃オール女史は、ウィックオフ・シーマンズ&ベネディクト社のマクレイン(John Fleming McClain)から、「Remington Standard Type-Writer No.2」に関するいくつかの仕事を引き受けていました。仕事の一つは、D・アップルトン社の『Appleton’s Annual Cyclopedia』に関するものでした。「Remington Standard Type-Writer No.2」が他社製品より優れている、という内容のタイプライター紹介記事が『Appleton’s Annual Cyclopedia』に掲載されるよう、タイピング記録を樹立してほしい、というのです。

オール女史は、口述タイピングにおいても、手書き文書の清書においても、非常に高い能力を有している、とマクレインは考えていました。たぶん、ニューヨークでも一、二を争うだろう、と。その能力を「Remington Standard Type-Writer No.2」の宣伝に活かしたい、とマクレインは考えたのです。ただ、『Appleton’s Annual Cyclopedia』の編集者たちの前で、オール女史の腕前を披露しただけでは、かならずしも「Remington Standard Type-Writer No.2」の宣伝にはなりません。マクレインは、オール女史の能力を活用した、新たな宣伝方法を模索していました。

メアリー・オール(2)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。