タイプライターに魅せられた男たち・第150回

山下芳太郎(5)

筆者:
2014年10月2日

パリからロンドンへの強行軍がたたったのか、住友は病に伏してしまいました。山下が、ロンドン在留中の帝国海軍軍医を紹介したところ、胃カタルとの診断で、数日の静養を要するとのことでした。1897年4月13日にドーリック(Doric)号で横浜を出帆して10週間、住友の疲れもピークに達していたのでしょう。その後も山下は、住友の部下である鈴木馬左也を通じて、住友の世話を何くれとなく焼く羽目になりました。セント・ジェームズ・パーク周辺にホテルを探したり、執務や面談のために帝国領事館の一室を準備したり、しかも住友は、そのままロンドンに長期滞在を決め込む様子でした。6月30日には有栖川宮が、7月3日には伊藤が、それぞれロンドンを出立しましたが、住友は8月18日までロンドンに滞在し、山下をはじめとする帝国領事館員とも顔なじみとなりました。

この時期のロンドンには、アメリカからどんどんタイプライターが輸入されていました。「Remington Standard Type-Writer No.2」「Caligraph No.2」「Densmore Typewriter」「Yost Typewriter」「Smith Premier No.2」「Williams」「National Typewriter」「Bar-Lock」「Crandall New Model」「Blickensderfer No.5」「Elliott & Hatch Book Typewriter」「Underwood Typewriter No.1」など、あらゆる種類のタイプライターが、リバプールを通ってロンドンに流れ込んでいました。これらに加え、イングランド国内でも、ロンドンでは「North’s Typewriter」や「Fitch Typewriter」が、ウエストブロムウイッチでは「Salter Typewriter」が製造されていました。「Fitch Typewriter」はブルックリンの会社ですが、ロンドンでもライセンス生産をおこなっていたのです。

ロンドンで製造された「Fitch Typewriter」

ロンドンで製造された「Fitch Typewriter」

山下が勤める在倫敦帝国領事館でも、公式書類はまだまだ手書きだったものの、日々の伝票や手紙などは、タイプライターで打たれたものが増えていました。ただ、それらはあくまで英語やフランス語など、いわゆるアルファベットで書かれるものだけがタイプライターで打たれていて、日本語は手書きするしかなかったのです。欧米の言語に比肩すべく、日本語の書字をもっと「進化」させるべきではないか、という考えが山下の中に芽生えました。

山下芳太郎(6)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。