人名用漢字の新字旧字

第138回 「蝉」と「蟬」

筆者:
2017年8月3日

新字の「蝉」は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。旧字の「蟬」は人名用漢字なので、子供の名づけに使えます。「蟬」は出生届に書いてOKですが、「蝉」はダメ。どうして、こんなことになったのでしょう。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、部首画数順に2528字が収録されていました。標準漢字表の虫部には、旧字の「蟬」が収録されていましたが、新字の「蝉」は収録されていませんでした。昭和17年12月4日、文部省は標準漢字表を発表しましたが、そこでも旧字の「蟬」だけが含まれていて、新字の「蝉」は含まれていませんでした。

昭和21年11月5日、国語審議会は当用漢字表1850字を、文部大臣に答申しました。この当用漢字表で、国語審議会は、旧字の「蟬」を削除してしまいました。当用漢字表は「使用上の注意事項」で「動植物の名称は、かな書きにする」としており、このルールに従えば、新字の「蝉」も旧字の「蟬」も、当用漢字表には不要だと判断されたのです。当用漢字表は、翌週11月16日に内閣告示されましたが、やはり「蝉」も「蟬」も収録されていませんでした。そして、昭和23年1月1日に戸籍法が改正された結果、「蝉」も「蟬」も子供の名づけに使えなくなってしまったのです。

それから半世紀の後、平成16年3月26日に法制審議会のもとで発足した人名用漢字部会は、「常用平易」な漢字であればどんな漢字でも人名用漢字として追加する、という方針を打ち出しました。この方針にしたがって人名用漢字部会は、当時最新の漢字コード規格JIS X 0213(平成16年2月20日改正版)、文化庁が表外漢字字体表のためにおこなった漢字出現頻度数調査(平成12年3月)、全国の出生届窓口で平成2年以降に不受理とされた漢字、の3つをもとに審議をおこないました。旧字の「蟬」は、JIS X 0213の第3水準漢字で、全国50法務局のうち出生届を拒否された管区は無く、出現頻度数調査の結果が664回でした。新字の「蝉」は、JIS X 0213の第1水準漢字で、全国50法務局のうち出生届を拒否された管区は無く、出現頻度数調査の結果が30回でした。この結果、旧字の「蟬」は人名用漢字の追加候補となり、新字の「蝉」は追加候補になりませんでした。

追加候補選定基準 漢字出現頻度数調査
200回以上 50~199回 1~49回
不受理の法務局数 11以上 JIS第1~3水準 JIS第1・2水準 JIS第1・2水準
8~10 JIS第1~3水準 JIS第1・2水準 JIS第1水準
6~7 JIS第1~3水準 JIS第1水準 JIS第1水準
0~5 JIS第1・3水準 - -

平成16年9月8日、法制審議会は人名用漢字の追加候補488字を答申し、9月27日の戸籍法施行規則改正で、これら488字は全て人名用漢字に追加されました。この結果、旧字の「蟬」は人名用漢字になり、子供の名づけに使えるようになったのです。しかし、新字の「蝉」は、人名用漢字になれませんでした。

平成23年12月26日、法務省は入国管理局正字13287字を告示しました。入国管理局正字は、日本に住む外国人が住民票や在留カード等の氏名に使える漢字で、JIS第1~4水準漢字を全て含んでいました。この結果、日本で生まれた外国人の子供の出生届には、旧字の「蟬」に加えて、新字の「蝉」も書けるようになりました。でも、日本人の子供の出生届には、旧字の「蟬」はOKですが、新字の「蝉」はダメなのです。

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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