ドイツ語に「未来」はあるか、ということを考えてみたい。とは言っても、ドイツ語の将来に悲観しているわけではなく、時制の一つ「未来形」の話である。
日本におけるドイツ語学習では、すでに英語学習の経験があることを前提としているため、できるだけ英語文法と同じ用語を使うようにしている。動詞の時制に関しても、進行形はドイツ語にはないが、それ以外は英語と同じ用語を使い、以下の6時制と説明するのが普通だろう(未来完了は使用頻度が低いので、初級文法では省略される場合もある)。
現在 現在完了
過去 過去完了
未来 未来完了
しかし時制の用法は、ドイツ語は英語とは異なる点がある。未来のことを表現する場合、英語では原則的に未来形を使うが、ドイツ語では必ずしもその必要はない。また現在の事についての推量を表現する場合にも未来形が用いられる。以下は「クラウン独和辞典」第4版からの例である。
Sie kommt morgen zu mir.(現在形)彼女は明日私のところへ来る。
Sie wird wohl krank sein.(未来形)彼女は多分病気らしい。
実際、未来形が単純に時間的未来を表現する用例は、頻度が低い。それよりも、人称にもよるのだが(詳しくは「クラウン独和辞典」巻末の文法小辞典を参照)、推量、意志・意図、命令などの意味を表現することがはるかに多い。つまりドイツ語の未来形は、その用法から考えると、時間的意味よりも、話法の助動詞と同じような意味を表現するのが普通なのである。
ドイツの文法書でも、最近は未来形を時制の一種としてではなく、話法の助動詞表現の一種と説明しているものもある。その際の根拠の一つとして、たとえば次の文のような確定的未来を表現する場合、未来形は使用不可で、現在形しか用いられない、ということが強調される。
Morgen habe ich Geburtstag.(現在形)明日は私の誕生日だ。
つまり未来形という名前ではあっても、未来を表す頻度は低いし、時間的未来を表す場合に未来形が使えない場合もあるのである。
文法用語も、名前と実態が一致している方が望ましい。しかし英語と同じ用語の方が覚えやすい、などいろいろな理由により、名が体を表さなくなっているケースもあるので、注意が必要である。