以前、新幹線には、ビュッフェ、つまり、立ったまま食べる簡単な食堂がありました。窓に面してカウンターがしつらえてあり、景色を見ながら軽い食事ができます。ドアには「ビュフェ」と書いてありました。
私にとって、ビュッフェのコーンスープやカレーライスの味は旅情をそそるもので、新幹線に乗るときの楽しみのひとつでした。質の割に値段が高いとも言われましたが、随筆家の内田百閒(ひゃっけん)は、このカレーを肯定的に評価していたそうです。
〈あれは単なるカレーライスではなく、カレーライス自体も二百キロのスピードで走っているのであって、二百キロで走っているカレーライスを百二十円で食べられるのだから非常に安いと〔百閒は〕いう。〉(山口瞳『酒呑みの自己弁護』新潮文庫 p.264)
鉄道のビュッフェ自体は、新幹線より前からありました。黒澤明監督の映画「天国と地獄」(1963年)では、有名な特急こだまのシーンに登場し、ドアにも「ビュフェ」の文字が読み取れます。車内放送のせりふは、「ビフエー」のように発音しています。
〈権藤金吾さま。お電話ですので、ビフエーの電話室までお越しくださいませ。〉
私の世代より上の人にとって、「ビュッフェ」は、まず、このような軽食堂を指すものでしょう。ところが、今では、食べ放題方式の食事、つまり「バイキング」のことを指すのが一般的になりました。『三省堂国語辞典 第六版』にも、この意味を収録しました。
もともと、「バイキング」は日本での呼び名です。1958年、帝国ホテルが北欧スタイルの立食(スモーガスボード)を始めた時、社内公募で決めたものです(村上信夫『帝国ホテル 厨房物語』日本経済新聞社)。「ビュッフェ」を採用しなかったのは、なじみがなかったか、軽食堂の意味と紛れることを避けたのでしょう。
「ビュッフェ」を食べ放題方式の意味で使うことが多くなった時期は、ちょうど、新幹線のビュッフェが消えていった時期に重なります。軽食堂の意味で使われなくなったため、混同のおそれがなくなったことも、用法の変化を促進したと考えられます。
語形も少し変わりました。食べ放題方式を指す場合は、「ビュッフェ」のほかに「ブッフェ」「バッフェ」なども使われます。さらには、「ブュッフェ」と書く例もあります。もっとも、この通り発音するのはむずかしそうです。