「マナー」に関することばの基本は,マナー違反を言い立てる否定的なことばである。マナー合致を表す肯定的なことばも少数あるが,たとえば「きっちり」を「きちきち」のように言い方を少し変えるだけでマナー違反の否定的なことばになってしまうことさえあるというのが前回述べたことである。
肯定的なことばと否定的なことばのこうした非対称性は,マナーに関することばに限らず,評価の発言に全般的に見られるようだ。
たとえば「あの人は立派な人です」という発言は,「ふつうに」発音してこそ肯定的な評価の発言となる。少しでも言い方を変えて,たとえば「立派」を巻き舌で「るぃっぱ」と言ったり,あるいは全体を鼻声で言ったりすれば,たちまちアイロニカルな,つまり「立派ではない」という否定的な意味がかもし出される。日本語には「巻き舌=アイロニー」「鼻声=アイロニー」といった決まりなど特にないにもかかわらず,である。
では,「あの人はひどい人です」といった否定的評価の発言は,言い方を変えれば肯定的評価の発言になるか? ならないだろう。
いやもちろん,女性が恋人に言う「んーもぅ,キライッ」が「スキ」という愛情を露呈しており,悪代官が悪徳業者から賄を受け取りつつ言う「越後屋,そちもワルじゃのぅ」が「越後屋,この愛(う)い奴め」といった親近感の現れということはある。
だが,それらは言い方に依存しているわけではない。女性の「んーもぅ,キライッ」発言は,何ら甘えた調子がなくても「スキ」というきもちの現れということがあり得る。悪代官の「越後屋,そちもワルじゃのぅ」発言にしても,おどけたところが特になく,ただ越後屋の悪どさに恐れ入ったという調子であったとしても,それは「愛い奴め」という心情の(多少ひねった)現れでなくて何だろうか。それに越後屋は「ワル」であって「善」ではない。肯定的評価の発言「あの人は立派な人です」が言い方一つで「立派でない」という否定的な評価の発言に転じるのとは,だいぶ違っている。
同じ「評価の発言」とはいっても,肯定的な評価の発言と否定的な評価の発言は,我々にとって,実はかなり違っている。言い方が「ふつう」から外れると,肯定的な評価の発言がもはや肯定的な評価の発言として成り立たなくなるのは,肯定的な評価というものが比較的平静なきもちでなされやすいからだろうか。それに比べて,否定的な評価の発言が言い方の許容幅が広く,肯定的な評価の発言の「崩れ」が否定的な評価の発言として響くことがあるのは,否定的な評価というものが冷静なきもちだけでなく,怒り・不満・侮蔑・無念など,さまざまなきもちでなされやすいからだろうか。言い方と評価の関係には深い謎がありそうである。(さらに続く)