地域語の経済と社会 ―方言みやげ・グッズとその周辺―

第22回 井上史雄さん:食品の特有語「しるい」

筆者:
2008年11月8日

知り合いがメールをくれました。トッポというお菓子に方言が載っているそうです。一体どんなお菓子でしょう。用もないのにコンビニに入って探しましたが、1回目は失敗。お菓子の名前を忘れました。次はメールを見直してメモしましたが、肝心のメモ用紙を持たずにコンビニに入ってまた失敗。3度目はメモ用紙を持って入りましたが、どれがトッポなのかが分かりません。店員に聞いて、棚の前まで連れて行ってもらって、やっと見つけました。

【トッポ(その1~その6)】

【トッポ(その1~その6)】

箱の裏をみると、方言が1県に1語ずつ書いてあります。暗算で47都道府県に定価を掛算して、全部は買えないと判断しました。面白そうなのを3個選んで、残りは写真に撮らせてもらおうと考えましたが、よく見ると種類は多くありません。12個です。しかも期間限定と書いてあります。今買わないと手に入らなくなるー! 「一語一円」の何倍かなどと計算している場合ではありません。思い切って「大人買い」をしました(数十万円の買い物のような大げさな決心が、お恥ずかしい)。

家に帰って、全部の写真を撮りました。中身はどうしましょう。毎日1個食べてもかなり日数がかかります。受講学生に配ることにしました。前週に記入してもらったアンケートのお礼です。

【トッポ(その7~その12)】

【トッポ(その7~その12)】

外箱の現物は、方言についての授業でも役立ちました。方言の経済的活用という点では全種類が実例になりますが、そのうちの1種類は理論的にも重要です。

その5、奈良県の「しるい」だけが他県の例と違います。みなさんは分かるでしょうか。読み取れないかもしれませんが、これだけは意味の説明が1対1の単語で置き換わっていません。「ぬかるんでいる、という意味」と書いてあります。用例もあって、「雨降ったからしるいなぁ~ = 雨が降ったからぬかるんでいるね」と書いてあります。舗装のない昔の道については、あれば便利な言い方です。方言辞典によると、「しるい」は関西で昔から使われていて、発音がちょっと変わった「じるい」「じゅるい」などが中部地方以西各地で使われます。

【その5「しるい」(奈良県)】

【その5「しるい」(奈良県)は「特有語」】

西日本では1語の形容詞で言い表しますが、東京で発達した標準語・共通語では、ぴったり対応することばがなくて、「ぬかるむ」という動詞を使って説明的に表現するしかありません。「しるい」は方言での特有の言い方なので、「特有語」と呼べます。雪についての細かい表現が雪国で発達しているのも、「特有語」です。また海沿いでは潮の流れや風について、細かい名がついていて、標準語・共通語には置き換えにくいのですが、これも「特有語」です。

実はその12の大分県「しんけん」は、この数十年のうちに大分県に広がった新方言で、これも重要です。でも仲間の日高さんの縄張りなので、今は立ち入らないことにします。

何でもない方言のリストでも、理論で説明しようとすると、役立つ例が拾えます。大人買いした効果はありました。


*「特有語」については、拙著『東北方言の変遷』に書いてありますが、高い本です。近所の図書館にあったら、幸運を喜んでください。

筆者プロフィール

言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics

井上史雄,大橋敦夫,田中宣廣,日高貢一郎,山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。

(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

 

  • 井上 史雄(いのうえ・ふみお)

国立国語研究所客員教授。博士(文学)。専門は、社会言語学・方言学。研究テーマは、現代の「新方言」、方言イメージ、言語の市場価値など。
履歴・業績 //www.tufs.ac.jp/ts/personal/inouef/
英語論文 //dictionary.sanseido-publ.co.jp/affil/person/inoue_fumio/ 
「新方言」の唱導とその一連の研究に対して、第13回金田一京助博士記念賞を受賞。著書に『日本語ウォッチング』(岩波新書)『変わる方言 動く標準語』(ちくま新書)、『日本語の値段』(大修館)、『言語楽さんぽ』『計量的方言区画』『社会方言学論考―新方言の基盤』『経済言語学論考 言語・方言・敬語の値打ち』(以上、明治書院)、『辞典〈新しい日本語〉』(共著、東洋書林)などがある。

『日本語ウォッチング』『経済言語学論考  言語・方言・敬語の値打ち』

編集部から

皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。

方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載です。