3月11日の東日本大震災により,たいへん悲しいことながら,これまで紹介してきた,方言の有効活用例や関連企業などに大きな被害が出ました。今回は,その報告をします。
第131回の「とびゃっこメモ帳」を発行していた岩手県陸前高田市のタクミ印刷は,本社を失いました【写真1】。
津波の後の陸前高田市中心部の壊滅状況をテレビ等でご覧になった人も多いと思います。同社の本社はその中央部にありました。社員の皆さまは全員無事であったことが,インターネット情報やテレビ報道で伝えられました。
第101回「『市』を挙げての方言メッセージ~『おおきに』と『おでんせ』」の岩手県宮古市役所前庭の「おおきにとおでんせ」のポールは,無惨になぎ倒されました【写真2】。
方言メッセージの書かれた面は,ほんのわずか残りました【写真3】。
市役所本館は,津波が直撃して大きく損傷しました【写真4】。宮古市役所は,第121回「かだる」で紹介した「宮古゛さ かだれんせ」の山車を出したところでもあります。
第46回「『かきくけこ』―5文字で完結する観光の方言メッセージ―」の岩手県山田町は,津波で町の中心部が壊滅したあと,火災も発生し,まさに焼け野原となってしまいました。牡蠣祭りの開催場所である魚市場は,海に面しているため大破しました。歓迎の方言メッセージを掲げていたJR山田線「陸中山田」駅は焼失し,方言メッセージも灰燼に帰しました【写真5】【写真6】。
これまでの紹介にはないものですが,陸中山田駅近くの飲食店のネーミング袖看板「おでんせ」【写真7】も火災で焼失しました。残念ながら,この写真が貴重な記録となってしまいました。
ところで,震災からこの地方の復興が成し得たと言えるのはどの時点なのでしょうか? 私は,とびゃっこメモ帳の続きが発行されたり,失われた方言メッセージが戻ったときが一つの節目かと思います。
例えば,駅の歓迎メッセージなら,町を再建する位置が決まって,町が出来,それに合わせて駅や線路を新たに造り,それが完成してから掲げられるからです。
つまり,方言の有効活用例の復活のは,震災からの復興に大きな意味を持つのです。その実現を確信して再建の原動力としたいと思います。全国の皆さんもぜひ応援してください。
なお,第146回で紹介した復興の方言メッセージは,その後さらに増えています。それらは第156回で報告する予定です。