漢字の現在

第7回 正月の「寿」

筆者:
2008年1月7日

正月になった。この時期に接触する、つまり私たちが目にする頻度が急激に高まるのが、「寿」という字であろう。「ことぶき」「ジュ」など、その読みは熟語や場面、さらに人によっても様々だろうが、めでたい意味には変わりがない。

年賀状、お飾り、商店の貼り紙などで見かける「寿」には、「壽」という旧字体も目にするであろう。「壽」の草書体に基づく新しい「寿」よりも、「壽」という旧字体の方に、より伝統を感じる、という向きも多いようだ。「昔の人は難しい字をよく知っていた」、などといわれるが、覚えるためには「士(さむらい)のフエは一吋(いちインチ)」などと、字を形でバラバラにした、日本独特の方法が流布していた。ヤード・ポンド法の「吋」が、別の字を覚えるための要素になっていたこと自体が隔世の感がある。

扇に「寿」の字

【扇に「寿」の字】

「寿」部分を拡大

【「寿」部分を拡大】

正月料理にも「壽」の字は見受けられる(*1)。和菓子のような赤い料理に白字で書かれたものや、料理の上にプラスチック製の「壽」という字が刺さっていることもある。それをヒョイと取り除いて、綺麗な料理を食べるのが小さいころからの習慣だった。

この「寿」と「壽」のほかに、中間部分の「工」の辺りが「中」のようになった異体字「法華義疏にみられる「寿」」も結構使われている。これは、筆運びを自然にし、字画を省き、形も整えるために生まれたもので、聖徳太子が書いたともいわれる「法華義疏」にも記されていた。これは正しくないと思われがちだが、「壽」も実は篆書体とは相当かけ離れた字体である。「百寿図」のたぐいが作られるほど、バリエーションの多い字であった。

法華義疏にみられる「寿」

【法華義疏にみられる「寿」】

この「寿」は、「ひさ-し」(ひさしい)という訓の中でも、特に「命(寿命)が長い」という意味を持つため、1字で「いのちなが-し」と読まれることがある。孔子のことばの、「仁者は寿(いのちなが)し」など漢文訓読の際だけでなく、俳句を詠む時などでも一般性を帯びた訓読みである。しかし、「いのちながし」という訓は、漢和辞典には収められていないことが多い。この「いのちながし」は、『大言海』などは立項していたが『日本国語大辞典』には見出しとして立てられていないなど、国語辞典にも単語として収められることが稀なようで、和語としては1語といえるのかどうか、微妙なところである。

和語の1単語と、漢字の1字というそれぞれの単位が一致しないことは、むろん稀ではない。ただ、漢字1字に対して和語が2語以上となると、「ことほぐ」(寿ぐ:言祝ぐ)、「こころよい」(快い:心良い)のように、通常はそれを1単語と認定するようになる。そうでない場合は、意味を説明するフレーズとなる。「「馬+朱」」で「くちのくろいうま」(口の黒い馬)のように。「いのちながし」は、そういう例に入らない稀少例の一つといえる。

【注】

  1. 「寿」の字を用いた「寿司」については、小文(//www.asahi.com/ad/clients/waseda/opinion/opinion221.html)を参照していただければ幸いである。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』
『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究により、2007年度金田一京助博士記念賞に輝いた笹原宏之先生から、「漢字の現在」について写真などをまじえてご紹介いただきます。

今回はお正月によく見るあの字です。